僕は不安神経症だった。
だったというのは今は症状は軽いし、服薬もしていない。
症状があった時はあらゆることが心配になった。
明日の仕事のことから老後の年金のことまで
子供の養育費から誰かのうわさまで
でも、そういうことで心配するこはやめることにしている。
心配事の90%以上は実際には起きないそうだ。
「そうは言っても」と理解しつつ
心配することがやめられなかった。
強迫的に、、、、。
家の鍵をしめただろうか、コタツは消しただろうか、はたまた消防車のサイレンが鳴っていると
僕の部屋で火事じゃないだろうか。。。
これらのことは実際は決して起こらなかった。
でも心配はやめられなかった。
少し異常だった。
でもいつしか軽くなった。
たぶんあきらめたのだ
別に鍵を忘れても、コタツ消えてなくても、部屋が火事でも別にいいやと思うようになった。
さらに祈ることを覚えた
「どうか災難が起こりませんように」
これはよく効いた
もちろん今でもよく祈る
祈りは心の平安を保ってくれる。
そうしているうちに
心配する:別に仕方ない という割合が
45:65くらいになってきて今もそれくらいの割合である。
心配はするがもしそれが起こっても、起こったなりに対処すればいいと思っている
老後2000万はないだろうがないなりに生活すればいい
仕方ないもの
あきらめればいい、いい意味で。
自分で頑張ったならあきらめればいい
それくらい僕らは無力なのだから
そしてそれくらい楽に生きれる。
僕は最近はいつもそう感じている。
今日も賭けない一日をありがとうございました!