寂しさというやっかいな感情との付き合い方。

寂しいと思うことはあるだろうか?

僕も当然ある。

ただ今はそれに振り回されることは少なくなった

昔は深夜に徘徊したり、薬をやったり、飲んだくれていたりした。

20代前半の頃、よく精神病院に入院した

自主的に。。。

なぜなら病院の方が寂しくなかったから。

そこに人との繋がりがあったから。

そんな僕の絶対的な寂しさの原因はよくわからない

生育歴も環境も資質も影響しているだろう。

派遣の仕事をするようになってからも生きづらく、独りで、誰もいなくて

宇都宮の公民館でピアカウンセリングのチラシを見ては参加できず、将棋会館を見つけても入る勇気がなかった

だから薬を入れるしかなかった

「もっと社交的に、もっと不安がなくなるように、もっと怖がらずに」

そんな風にして処方薬を乱用していた

深夜徘徊し、歪んだ恋愛をし、飲めない酒を飲み、ギャンブルをした。

すべては寂しさから来ていたと思う。

「ここじゃない僕を受け入れてくれる場所へ」

そんなことばかり考えていた

こことは場所ではなく、実は僕自身のことだった

いろんなカウンセリングも受けた

でも過去やそれらしい要因に目を向けても解決しなかった

自助グループに通うようになって、そこにはいつも人間関係があった

飲みにいく金も人もいなくても自助グループに行けば仲間がいた

そうやって居場所ができていった。

人は人の中でしか回復できないと思う。

人に少しずつ認められ、自分で自分を認められるようになると少しずつ自分で歩きだせるようになる。

ず~と「寂しい」と感情に支配され、それを埋めるための行動をしてきたように思う

「これを埋めなきゃ、これを埋めなきゃ そうしないと見捨てられる」

そういう強迫観念に支配されて生きてきた

それはもちろん誰が悪いわけでも、寂しい幼少期のせいでも、もちろんギャンブルのせいでもない

ただ僕は恵まれていた。

そこに繋がることができたし、今は寂しさを感じることも少なくなった。

そうやって寂しさに支配されながら生きる時期もある。

きっと誰だって。

寂しさで繋がることもあるし、それがモチベーションになることもある。

寂しいから恋愛するのだろうし、もっとよい暮らしをしたいと思うのだろう。

他人に認められること

自分を認めてあげること

どちらもすごく難しい

特にそれを経験してこなかった人たちにとっては

だから同じ思いを抱えている仲間と話すことが大事だんだよねえ

僕はそれで回復してきた

僕は恵まれていた。

僕はただそれを伝えていく。

種を蒔くように。

今日も賭けない一日を。