ギャンブルをやめれる人とやめれない人との違い
これについていろいろと考えてきた
仲間の辿った道や僕の経験、そしてやめれない人の気持ちなどを総合すると
「底つき」にたどり着く。
ある者は食べるものさえなくて、ある者は借金に追われて施設へ、ある者は犯罪に手を染めようとして、やっと変わるチャンスを掴む。
そういうことだと思う。
仲間には自死を選ぶものも少なくない。
では「底つき」を経験してない人がギャンブルをやめることは難しいのだろうか?
まず、自ら進んで「底つき」になることは不可能である。
底付きが必要だからと言って「じゅあ今日から底付きへ頑張ります!」とはならない。
「底つき」とはなるものであって、決して能動的になりにいけるものではない。
なりにいけるものであればそれは「底つき」ではないと僕は思う。
次に人によって「底つき」の状態は違う
借金をしてしまっただけで感じる人もいれば、一家離散の状態の人、嘘が10回目バレた時の人。
「底つき」はひとによって違う。
大体は回復した後で「ああ、あれが自分にとって底つきだったんだなあ」と思うだけで、最中は誰も思わない。
では「底つき」を迎えてないギャンブラーがギャンブルをやめるにはどうすればいいのか?
その1つは「仲間の話を聞くこと」だと思う。
仲間の話は経験であり、知恵であり、回復のヒントである。
その経験に共感できるようになれば、少しは変われるんじゃないかと最近感じている。
僕らは痛みを忘れないようにミーテイングに出ている。
そうでなければ簡単に「痛み」を忘れていく。
だからスリップする。
仲間が自死した話を聞いて何も思わないわけはない。
まあ人によってギャンブルをやめるタイミングとかいろいろあるから一概には言えない。
僕は「またスリップしました」というツイートを見ても「底付き」がくるまでそっと見守る
ただしこういうミーティングや相談会やってますよという情報だけは流しておく
そして本人が参加してくれるようになったらしめたもの。
それを僕は「種まき」と呼んでいる。
今日も賭けない一日を。