今日のオンラインミーティングのテーマが「嘘」に関連することなので、自分でも少し書いてみたい。
いつだったか「もう嘘をつくのは嫌だな」と思いながらナチュラルに嘘をつくようになっていて
「なんでこんな嘘つきになってしまったのだろう」とひどく落ち込んでしまったことがある。
嘘は小さい嘘からその嘘を取り繕う嘘まである。
1つ嘘をつくとそれをさらに再構築するためにそれより少しだけ大きな嘘をつく。
その少し大きな嘘を取り繕うためにさらに大きな嘘をつく。
そんな構造になっていた。
生まれて初めてついた嘘は自分を守るためだった。
僕が5歳くらいの時、実家の窓の外でボヤ騒ぎがあった。
身内はみんな雪片付けをしていて僕だけが家の中にいた
僕は暇で魔が差して反射式ストーブにティッシュをつけたらどうなるかと思ってしまった
そしてティッシュをストーブに近づけたらティッシュは燃え出した。
台所の水場に捨てれば良かったのだか怖くなって思わず窓から捨ててしまった
当時の家は木造平屋だったし、家の周りには割と木の塀が多かった
少し様子を見ても何ともなくてホッとしたが、やがて焦げ臭いにおいがして塀の下が小さく燃え出した。
怖くなった僕は大人を呼び、消してもらった。
だけど「誰がやった?」と言われて怒られるのが怖くて
「僕じゃないよ」と嘘をつき通した
それが僕が嘘をついた最初の記憶である。
つまり、怒られるのが怖く、自分を正当化しようとして嘘をついたのである。
青年期でも、怒られそうになり、自分を正当化するために嘘をついた。
大人になっても同じだった。
結局人に自分を見せたくなかったのだと思う。
ちっぽけで何もない自分を。
それからは本当の自分と正当化している自分が乖離していった。
だからますます自分をさらけ出すことはなくなった。
そのうちどれが自分かわからなくなり、いつも隠れて怯えて生きるようになった。
人といると疲れてしまい、機械相手のギャンブルの方がよっぽどマシだった。
自分を繕うために金で防備し、虚栄を張っていた。
どこかの本に書いてあったが、僕にとってギャンブルは自傷行為だった。
破壊衝動であり、自分を痛めつける行為であり、ギャンブルをして自責で自己嫌悪に落ちいるためにわざとやっていた部分もあると思う。
それくらい自分が許せなかった。
自分が嫌いだった。
今は。。。。
まあ 少しは許せるかな。
今日も賭けない一日をありがとうございました!