僕は何が好きかを言えない子供だった。

まあ 少し僕の子供時代の話をしようと思う。

僕は一人っ子で中学に入るまで祖父母と3人で暮らしていた。

母は僕を生んですぐ死んで、父は失踪したから僕は祖父母に引き取られ3人で住んでいた。

当時、祖父母はすでに60代だったと思う。

車もない、トタン屋根の平屋に、僕ら3人は生活していた。

僕は3畳の自分の部屋で、いつも学研を読んでいた。

僕には学研しか楽しみがなかった。

大正生まれの祖父母との暮らしには娯楽がなかった。

特に祖父は戦争あがりで、厳しく、TVはNHKしか見させてもらえなかった。

ひどくつまらない家だった。

「他の家に生まれたかった」と思わない日はなかった。

周りの大人はよく僕に言った

「恵まれているね」と。

その意味するところはまったくわからなかった。

今思えば「心理的虐待」みたいなこともたくさんあった。

冬は5時に起きて雪かきをしなければ殴られた。

食事中は一言も話さなかった。

僕はご飯を食べるとすぐに部屋にこもった。

いつしか僕は自分の欲しいものも言えない子供になった。

よく叔母や叔父が「何が欲しい?」と聞いてくれたが

僕は遠慮したのかわからないが「別にいいよ」という子供だった。

自分が欲しいものがわからなかった。

そもそもおもちゃを見にいったことがなかった。

ある時、叔母が大きいデパートに連れていってくれ、僕は欲しいおもちゃがあって初めて駄々をこねた。

僕は何となく祖父母にお金を使わせては悪いと思っていたし、何も希望してはだめだと思っていた。

だからひたすら自分を殺して生活した。子供だけど。。。。

だから思春期になって自分が何をしたいかわからなかったし、ひたすら反抗期だった。

それまでの抑圧を壊すかのように

毎晩家を抜け出して友達の家に遊びに行って朝帰った。

それでもまだ自分の気持ちを表現できなかった。

頭の中でぐるぐる、ぐるぐる考えが回った。

まるで僕は僕の中の世界だけで生きているみたいだった。

決して周りと交わらないような

そんな感覚。

コミュニケーション能力が欠如していた。

別に悪い子でもないし、いい子は演じるんだけど、それ以上でも以下でもない子供。

そして、何をしたいのかもわからなかった。

そして、高校2年に壊れた。

何をしたのかも、何が好きかも、何が嫌いかも、何が嫌なのかも、

自分で自分がわからなくなった。

その後大学に入ってから僕は自分のことを「スチューデントアパシー」や「パーソナリティ障害」や「離人症」だと思っていた。

僕は子供の頃、自分の家に人を呼ばなかった。

ボロい家や祖父母が恥ずかしかったし、夕方5時になると祖父が「帰りなさい」と友達を追い返してしまうから。

そんな僕は閉ざされた世界に生きていた。

それは僕の心のようで

僕は大学時代、友達の作り方がわからなかった。

どのタイミングで電話を聞いて、どのタイミングで電話をして、会って何をすればいいかわからなかった。

そのうち、不安障害になった。

ともかく僕は自分が嫌いだったし、「ここじゃないどこかへ」いつも行きたかった。

そして僕は自分を傷つけ始めた。。。。。

続きはまた今度。

今日も賭けない一日をありがとうございました!