思い出は美化されている。

ちょっとシンクロしたことがあったので書いてみたい。

昨日youtubeで「太田上田」の過去の動画で上田さんがモハメド・アリの逸話をテレビで見て感動したが

後日知り合いにそのテレビの録画をもらって見たら、全くそんな場面はなかった(笑)という話をしていた。

「思い出は美化され、記憶は都合よく作り変えられている。」

という笑い話だった。

そして次の日、僕は週末に弘前市に行く予定を立てていて、どこを観光しようかなと思っていて

「そう言えば中学の時遠足で五重の塔を見に行って、その写真があったなあ」と思い、

「それと同じアングルで写真を撮れば33年後の自分という具合に面白いのではないか」

と思った。

そして、僕は中学のアルバムを引っ張り出し、頭に描いていた写真を探した。

しかしなかった。

確かに想像していた写真はあった。

だけどそこには五重の塔は写ってなかったのだ。

でも、確かにその写真の場面は遠足に行った時のものだったと記憶している

でも、写真には五重の塔は写ってなかった。

おそらく僕は記憶を作り出していたのだ。

そして、いつの間にか遠足の時に写した写真は五重の塔の前でポーズをしている自分に書き換えられていた。

まあ

ただそれだけなのであるが、、、、。

上田さんの動画の最後の言葉がよみがえる

「事実なんてどうでもいいじゃねえか!その記憶で俺は感動したんだから!もう嘘でもいいんだよ!」

その通りである。

お後がよろしいようで。

今日も賭けない一日をありがとうございました!