
先日高校の恩師と話していて、僕はつい「青森には何もねえよ」と言ってしまった。
恩師は「いやいやそんなことないよ」と確信をもって話していたが
高校時代恩師は「青森は秘境である」と話していたのに影響を受けたとは、僕は優しいので言わなかった(笑)。
そもそも僕らの世代は「青森には何もない」と刷り込まれて育った。
挙句の果てに吉さんは「こんな村いやだ~東京さ行くだあ」とトップテンで歌っていた。
僕らは刷り込まれてきた。
「都会に出なければいけない」と。
まあ、昔の話だ。
恩師だってそういうつもりで言っていたわけではない。
今や田舎だって有名になれるし、漫画家にもなれるし、ミュージシャンもお笑い芸人もいる。
やり方なんてググれば出てくる。
もはや情報という意味においては都会も田舎も関係ない。
と
書きながら思い出していた。
僕は地元だけではなく世界を拒絶していたことに。
そう、僕は世界を拒絶していた。
世界のシステムとかそういうことに。。。。
いや、あらゆることを嫌っていた。
何もかも。
今振り返ってみた「なぜ世界を拒絶していたのだろうか?」と
答えは簡単だった
「自分を拒絶していたから。」
「自分を許していなかったら。」である。
世界は自分であり、自分は世界であった。
今は割と「自分を許せている」。
するとどうだろう。
世界は色を帯び、温かみを帯びる。
色彩にあふれ、いのちを素晴らしいと感じることができるようになった。
ここまで47年。
まだまだ楽しめそうだ。
世界に許されたら、やりたいことは割と簡単にできる。
世界は自分。自分は世界。
僕の生きるヒントは「自分を許すこと」だった。
今日も賭けない一日を。