
メンタルの調子が良くない方はご遠慮ください!と書いておきながら、そういう人もきっと読むので最大限の注意を払って書くつもりです。
メンタルの調子は急に落ちることもあるんだよってことです。
そう思うと最近までが絶好調だったんだなあと思う。
今日も特に問題ない日だった。
朝からギャンブル依存症者向けのLINEサービスの記事をずっと考えていてそれはそれで幸せな時間だった。
特にいつもと変りない朝。
ただ雪は積もっていた。
昨夜からの雪で、少しの晴れ間はあったが、また年末には雪が積もるという。
今日はなるべく外に出ないと決めていた。
僕は不安神経症であるが、最近は症状もなく、毎朝1錠だけ服用している薬もそろそろ間引きしていこうかなと今日はたまたま飲まなかった。
もちろんそれだけが原因ではない。
11時頃、近所に昼を食べに行くついでに車の周りを除雪した。
特に変わりはない。
近所の食堂に昼を食べに行き、普通にTwitterとインスタグラムに写真をアップした。
いつも通り。
ただ、普段運動していないせいか多少疲労を感じた。
冷蔵庫の残っていたヨーグルトを食べた。
少し横になろうとアマゾンプライムで「まどかマギカ」を見ながら「あくまほむらすげえな」と思いながら
あれ、腹ぎゅるぎゅるすると寝ながら2回ほどトイレに行き、少し寝た。
寝ながら、ふと思ってしまったのだ。
「あれ、俺独りじゃん。このまま具合悪くなっても誰も気づかないのかな。雪で閉ざされているし、孤独か。」
もちろん僕は独り暮らしといえど、毎日東京の彼女とビデオ通話はするし、仕事も行ける、Twitterで誰かに声をかければ誰かは相手をしてくれる。
つまり、表面上孤独ではないのだ。まったく。
でも、ふと思ってしまった。
「孤独だ。どうしよう怖い」と。
あのざらついた感覚をざらりと感じてしまった。
「やばい、不安に取り込まれる」
とりあえず原因を思い出してみる。
腹の調子が悪い、雪かきで疲れてしまった、今日薬を飲まなかった。
どれもが可能性としてあり、どれもが可能性でなかった。
それからしばらく嫌なニュースばかり目につき始めた。
「なんかやばい」と感じた。
冬の外の暗さが不安を助長させる。
病的な孤独や不安というのは物理的や表面的な「孤独でない状態」とは関係がない。
例えばそれは家族と共に生活していたり、子どもがいたり、ペットといたり、そういうこととは関係がない。
発作のようなものである。
僕にとってみれば「嵐」である。
発作なので、それにフォーカスしてはいけない。
「不安はそれを見つめると不安に取り込まれていく」
僕は感覚的に知っていた。
でも、知っていてもだめなものはだめなのだ。
僕は自分の身体と心の状態を少し把握しようとした。
「身体は動く、そんな疲れてはいない。メンタルはそこまでではない。フォーカスしなければ切り替えられる可能性は高い。」
そう判断し、朝飲まなかった薬を飲んで落ち着かせることにした。
表面上の条件なんて変わっていない。
僕は朝から他人と会話してなかったし、外は雪で覆われている。
ネガティブな面を見ていけばどんどん落ちていきそうだった。
「あんなに調子が良かったのに。まただめなのか。」と思いかけてやめた。
冬のせいにしようと思う。
冬は不安にさせてしまう。
冬季鬱ということもあるくらいだから。
なるべく批判的なニュースや記事、SNSは避ける。
それに耐えうるメンタルがないと思われるから。
「そのくらいで、私だって独り暮らしだわ!」と思われるかもしれない。
それとは少し違う。
「気持ちを明るく持てば大丈夫よ!」と人は言う。
でも、本人にしかわからないこともた~~くさんある。
平気そうなふりして孤独を抱えていたり。
明るくカラオケを歌った後で一人の部屋でリスカしたり。
大体普通の人からしたら理解に困るのかもしれない。
ただ「多様性」を進めていくことをあえて信じるならば、「そういう人達」も世の中にはいるのだと思ってもらえればありがたい。
僕だってあなたのことはわからない。
わからないからこそ、理解しあおうと努力することが必要だ。
無知や無理解は分断を生む。
僕だっていろんなことをわかったつもりなのかもしれない。
こんなメンタルの時は
「このブログもやってきたことも誰かのためにと思ってきたことも誰かにいいねを押してもらうことも掃除したことも何かを信じていることも何もかも何もかもランジャタイで笑ってたことも、、、すべて無意味なんじゃないだろうか、すべてやめようか。」
などと後ろ向きに考えてしまったりするので
こういう時は
「結局、みんな孤独なんだよね」という
依存症界隈のTwitterで一時期流行っていた言葉を思い出してしまう。
何が言いたかったかというと
「誰でもメンタルが調子悪い時はやってくる」ということです
特に冬はね。
まあ たぶん寝れば大丈夫だし、こんな時に都合悪いのはこの記事出たあとで「大丈夫?」と方々からメールが来たりするのだが、それに対応する気力も残っていないことがあるということである。
つくづく僕は言葉で消化していき、言葉に救われ、言葉に生かされているのだなあ。
感謝します
今日も賭けない一日をありがとうございました!
戯言でした、付き合わせてすみません。
みなさんも自分のメンタルの調子には気をつけて無理しないであげてくださいね。
さて ランジャタイの動画見ようっと。