スリップして謝ることへの違和感。

ギャンブルをやめていくうえで当然スリップする。当然である。

スリップしない人はいない。断言しよう、そんな人はいない。

スリップしてよく見られるのが、謝るということだ。

「スリップしてごめんなさい。また1からやり直します。」と

わからなくもないし、僕もそうだった。

でも、最近違和感を覚えるようになった。

そもそもギャンブルは誰のためにやめているのか?

そして誰に謝っているのか?

別に批判しているわけではありません。必要以上に謝る必要はないし、もしかしたらそれは認知の歪みから来るものかもしれませんという話です。

おそらく、それは「ギャンブルをやめると自分で言ったのに、約束を守れなくてごめんなさい。」という意味だと思う。

確かによくわかる。

でも、周りの仲間はそんなことは微塵も思っていない。

「よくあることだし、また頑張ろうね」で終わりである。それでいい。

おそらく、この謝るという行為には謝るということによって自尊心の回復を試みるという心理的作用も含まれているような気がする。

こんなに謝っているのだから許してくれませんか?と。

でも、周りは最初から許すも何も怒ってもいないのだ。

そりゃあ、依存症でない人は「なんだ、自分で言ったことも守れないのか?」と思うかもしれません。

そんなのは無視すればいい(笑)。いや無視はだめか。

「今頑張っているところです」くらいでいいや。

本当に別に謝る必要はない。自分の気持ちが落ち着かないのであれば、1度くらい謝ってあとは切り替えればいい。

大事なのは「なぜ今回はだめで、次回はどうするのか?」だから。

そこまでしないと謝る意味がない。

例えば、

・今回は金銭管理がだめだったので、次回はこう工夫します とか

・今回は病院代に現金を出してしまったので、次回は注意します とか

・今回は時間を持て余したので、自助グループに参加します とか

次に繋げないと意味がない。

例えば仕事もスポーツもそうだと思う。

何かに失敗した。謝る。

でも、今回なぜだめで、次回からどうするかの?をしないとまたやってしまう。

そういうことだと思う。

でも、心理的な問題として謝るのはよくわかる。

なぜなら「思考の癖」だから。

僕もそうだった。

基本「生きててすみません」で生きていたから。

だから失敗すると

「すみません。死にます」だった。

「こんな自分はいない方がいいし、夢を見ない方がいいし、こんな生き方してすみませんでした。」と

本気でそう思っていた。

いや、毎日のように仕事でそう思っていた。

自尊心が低いとはそういうことである。

しかも「認知の歪み」が修正できないほどひどかった。

例えば、切り替えができなかった。

仕事で失敗する。大抵の人は寝て忘れるかもしれないが、1週間くらいは怯えて仕事をしていた。

そりゃあ鬱になるよなあ。

どうやって自尊心を回復していったかはここでは書かないが、その認知の歪みを修正しなければまたギャンブルをしてしまう。

まずは「自分を許すこと」が大事だと思う。

そして、謝って落ち込むだけではなく、次はこうすると前向きに捉えられたらいいですね。

自分の機嫌を上手に取っていくことが大事だと思います。

まとめ

スリップしても、必要以上に落ち込まないのが断ギャンブルを継続するコツ。

今日も賭けない一日を。