少し前、依存症界隈のTwitter内で「結局 寂しいんだよね」という言葉が流行っていたことがあった。
この「寂しさ」というのはどうも依存症の要因になっていると思う。
では「寂しさ」はどうすればいいのか?を考えてみたい。
実は誰だって「寂しさ」を感じることはあると思う。
家族がいても、恋人がいても、子供といても、同じ空間に誰かといてもである。
雑踏の中では余計寂しさを感じてしまうということもあるだろう。
では、どうしたらいいか。考えてみたい。
誰かといる。または誰かと話す。
まず、1つ目の対処法は「誰かと話す。誰かといる。」ということである。
だが、これは「誰か」がいなくてはいけないし、「誰か」と話せなければいけない。
誰でもいいわけではないだろうし、「誰か」にも用事があったりする。
そういうのが得意でない場合もある。
僕はメンタルがきつかった時はよく「いのちの電話」にかけていたなあ。
「あのう、死にたいんです」
いやあ 病んでましたねえ。
ま、それほどでもなければ誰かにLINEしてもいいだろうし、今ならTwitterならスペースという機能もあるし、キャスを聞くこともいいと思う。
そういうものがない昔ならラジオだったかもしれないし、音楽を聴いたかもしれない。
でも、1つ問題があって、「誰か」に頼ってしまうと「誰か」がいないと解消できないことになる。
24時間「誰か」がいて、24時間「誰か」と話せればいいが、それは不可能である。
だから、時と状況に応じていろんなツールを利用すればいいと思う。
自分の世界に逃げ込む
僕はそういう時は映画に逃げ込むかなあ。アマゾンプライムをよく見る。
ただし、2時間も耐えられないメンタルの時もある。
そんな時にyoutubeの「お笑い動画」を見る。
それで笑えない時はなかり重症だと思う。
寝逃げ
寝逃げもいい手である。
「寂しさ」の感情にフォーカスしていくと、ますますフォーカスしていくので、なるべく「ずらすこと」である。
好きなアニメを見たり、好きな音楽聴いたり、それでも難しい場合は寝る!!
起きたら少しはましになっているかもしれないから。
いろいろとあげてきたが、「寂しさ」という感情はやっかいだし、人それぞれ対処法は違うと思う。
でも僕は悪い感情ではないと思っている。
「寂しい」から恋愛をするんだろうし、「寂しい」から何とかしようと思うのだと思っている。
だとすれば防衛本能かもしれない。
僕も20代~30代は「友達がいない」と悩んでいた。
まあ 「友達の定義」という問題もあるのだが、「友達の定義」だって人それぞれだ。
誰もが、毎週飲みに行くのが友達ではないし、いつも話しているのが友達ではないと思う。
そう思えたら楽になった。
今は普通にLINEするくらいの友達なら多くはないがいるし、会う友達はまあたまにいればいい。
それで特に困らないし、しょうがないことはしょうがないと思っているから。
僕の場合
「Rさんは読子さんがいるからいいですね」と言われることもある。
確かに僕の中では読子さんは大きいし、毎夜毎夜話している。
でも、出会う前は僕だって一人でつまらない生活をしていた。
独りでご飯をたべ、独りで本を読んり、独りで週末を過ごしたり。
SNSで誰かにちょっかいを出していたこともあったと思う。
今のその人の状況は人それぞれだし、それぞれの処方箋があると思う。
でもまあ もがくしかないかなあ。
いつか心が軽くなる日が来ますように。
今日も賭けない一日をありがとうございました!