M‐1グランプリを目指した元漫才師の最後を読んでいた。まだすべては読んでいないのだが。
そして「夢」について考えた。
「夢」とは何だろうか?
例えば「漫画家になりたい」とか「医者になりたい」とか「弁護士になりたい」とかいうことだろうか。
そして、それは見なければいけないものなのだろうか?
「何者かにならなければならない」はかなり僕を呪縛してきた。
今思えば、「ありのままの自分」を肯定できなかったから「何者か」にならなければならなかった。
「夢」がなければならなかった。
ふむ、おそらくちゃんと着地できないが書いてみたいと思う。
僕の中学生の「夢」は「社長」だった。
特に意味もなかったし、なりたいものもなかったから。
というのは嘘で
本当は「先生になりたかった」でも恥ずかしいから「社長」にした。
大学の進路を決める時も何となく経済学部にした。親戚に「税理士はいいよ」と言われ何となく決めた。
ほんとは文学部に行きたかった。でも「食えない」と思った。
大学を留年して卒業してから、やっぱり教師になりたいと通信の大学に入った。最初は「哲学部」。でも倫理政経の募集はほとんどないと知って「英文学部」に入りなおした。
必修単位を終わる頃には29歳になっていた。29歳、30歳と採用試験を受けたがどちらも2次試験で落ちた。
それ以上、僕は追わなかった。教員免許も申請しなかったし、非常勤もしなかった。
免許申請の金はギャンブルに使った。
もういいかげん「働かなければ」と思っていた。実家に寄生し、金をせびる生活だったから。
でも、くそみたいなプライドが高かったので「教師になれなければ死んだ方がいい」とさえ思っていた。
でも、その後派遣でいろんな工場に行くと別に教師にならなくても、工場で働いて幸せそうなやつがたくさんいた。
そのことが僕の「教師への呪縛」を解いてくれた。
それからはとりあえず働いた。
そして、今ここにいる。
今思えば、教師になることは「夢」だったのだろうか?と思う。
妄想だったのかもしれないとも思う。
28歳で教育実習に行った時にあまりにもコミュ障だったし、世間を知らな過ぎた。
きっとあのまま教師になったとしても、まあ辞めてるよなあ。
それは世間が間違っているとかではなく、自分が歪んでいた。
例えば、ギターを弾いたことないのにバンドでメジャーデビューしたいと夢見るようなものである。
夢をかなえるためには、イメージだけではなく、きちんと練習しなければならない。そういうことだ。
今の僕には特に「夢」ない。
もはや「夢」ではなく「目標」なので、達成するだけだから。
お後がよろしいようで。
今日も賭けない一日をありがとうございました!