ギャンブルを超える刺激は存在しなかった。

ギャンブルを辞め始めた頃「ギャンブルを超える何かを見つけなければ」と思っていたのだが、そんなものは見つけられなかった。「刺激物」という意味においてだが。

それくらいギャンブル依存症者にとってはギャンブルは刺激的なものである。

では、ギャンブルをやめた日々は退屈で仕方ないのか?

まあ そんなことはない。

確かにギャンブルをしない日常は平穏で退屈で刺激のないものではある。

ただギャンブルの毒気が抜けていくと、別に「ギャンブル」を必要としなくなった。というか「ギャンブル」をしなくても平気になった。

退屈でつまらない日常に楽しみを見つけていったからである。

道端に咲く花をキレイだと思い

健康がありがたいと思い

欲しいものや必要なものを買えることが嬉しかった。

もう刺激的な日々はいらないとさえ思えている。

そう思えるまで、ギャンブルの毒気が抜けるまでが大変なのだが。。。。

今日はお彼岸ですね。たまにはお墓参りでもどうですか?

それともお墓なんてしばらく行ってないでしょうか?

たまには行ってみてはいかがですか?

今日も賭けない一日を。