情報化社会。

youtubeを見る時間が多くなった。まあそれは楽しみでもあるのでいいのだが、時間泥棒だなとも思う。何事もほどほどである。

僕の部屋にはTVがない。特に理由はない。

「TVってほら、ずっと見ちゃうでしょ?」みたいな高尚な理由ではなく、単に買う金がなかっただけである。

TVは4年前頃からないかなあ。

離婚して家電を売ってギャンブルしてた時にTVを売ってから、特に買うタイミングも金もなかった。それだけの話。でもギャンブルをやめ始めたばかりの頃は時間がとにかく余った。金もなかったから動画を見るくらいしかなかった。その頃youtubeには「キズナアイ」とかVtuberが出始めた頃だったので、何気なく見始めたら面白かった。以来、最近も見ている。退屈で寂しかった頃は慰めになった。

TVがなくても困らなかった。気になるサッカーの試合とかがあってもネット配信もあったし、なければないで過ごせるものだ。ただ、最近はyoutubeもいろんなチャンネルがあり、もう情報の垂れ流しだなあと思ったりすることもある。昔TVで思っていたことが、今はyoutubeに取って替わっただけである。

WEBやSNSを含めれば、自分で望んでいなくてもいらない情報も入ってくる時代になった。見る気がなくても「おすすめ」されたりね。多すぎる情報に僕は時々吐き気がしてくる。いろんな価値観、いろんな生き方、自分の軸がぶれそうになる。

「こうやって生きればいいんです!」「傷つかない生き方とは?」「傷つけない生き方とは?」「それセクハラですよ!」「それパワハラですよ!」「人は見た目がすべて!!」「人は見た目じゃない!!」「セミリタイヤする方法」「心配しないで生きる方法」etc。

僕は時々吐き気がする。僕のストレージが満杯になっていく。だから時々、情報を遮断してストレージを開けなければいけない。人それぞれストレージの容量は違う。

ある種の人はなぜ「自分にあてはまることが他人にもあてはまる」と平然と考えられるのだろうか。

僕は生まれた時に母を亡くし、父も失踪していたが、特に不自由なく育ってきた。そんな僕を時々憐みの目で見てくる「何も知らない他人」がいた。

「かわいそうにねえ。寂しかったでしょ」と。

僕は毎回、悔し涙を流した。

「お前に何がわかる?俺の何がわかる?寂しかっただと?俺の何を知っている?お前に俺を助けられるのか?そもそも寂しいなどと感じたことは一度もなかった。比べるものもないから。それをお前の価値観のせいで。。。知ったかぶりするんじぇねえよ!」

僕は毎回泣いた。

寂しいからではなく、理解されなかったことに。

着地点がわからなくなったので、この辺で。

今日も賭けない一日をよろしくお願いいたします!

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