僕はソーシャルワーカーである。

僕はソーシャルワーカーである。ソーシャルワーカーとは何か?

ソーシャルワーカー(英語:Social Worker)とは、社会の中で生活する上で実際に困っている人々や生活に不安を抱えている人々、社会的に疎外されている人々と関係を構築して様々な課題にともに取り組む援助を提供するソーシャルワークを専門性に持つ対人援助専門職の総称である。

日本では、社会福祉事業において主に相談支援や関係機関との調整を担うための国家資格として、「社会福祉士及び介護福祉士法」に基づく社会福祉士(Certified Social Worker)と、「精神保健福祉士法」に基づく精神保健福祉士Psychiatric Social Worker)が存在する。

  • 社会福祉士(社会福祉士及び介護福祉士法第二条)

社会福祉士の名称を用いて、専門的知識及び技術をもつて、身体上若しくは精神上の障害があること又は環境上の理由により日常生活を営むのに支障がある者の福祉に関する相談に応じ、助言、指導、福祉サービスを提供する者又は医師その他の保健医療サービスを提供する者その他の関係者(第四十七条において「福祉サービス関係者等」という。)との連絡及び調整その他の援助を行うこと(第七条及び第四十七条の二において「相談援助」という。)を業とする者をいう。

  • 精神保健福祉士(精神保健福祉士法第二条)

精神保健福祉士の名称を用いて、精神障害者の保健及び福祉に関する専門的知識及び技術をもって、精神科病院その他の医療施設において精神障害の医療を受け、又は精神障害者の社会復帰の促進を図ることを目的とする施設を利用している者の地域相談支援(障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(平成十七年法律第百二十三号)第五条第十八項に規定する地域相談支援をいう。第四十一条第一項において同じ。)の利用に関する相談その他の社会復帰に関する相談に応じ、助言、指導、日常生活への適応のために必要な訓練その他の援助を行うこと(以下「相談援助」という。)を業とする者をいう。

『ウィキペディア(Wikipedia)』より

そして僕は社会福祉士である。もちろん生活のために取得した。介護福祉士では子供を養えなかったから。途中から取得したから今6年目である。MSW(医療ソーシャルワーカー)という言葉に憧れたものだ。

もちろん、36歳くらいで入学した専門学校ではソーシャルワークに関するあらゆることを覚えた。試験のために。当たり前だが実際の仕事は違う。学問は基礎になるが実践ではない。

「自分と同じことで困っている人の力になりたい」という初期衝動は確かにあった。

だけど、仕事についてみれば、僕よりも有能な同僚、仕事仲間がごまんといて、また病院でさえも家族、患者よりも経営のために動くことも多い。

そんな仕事の中で僕は潰れていった。能力もないし、スキルもないし、経験もなかったから。そのうち「僕がソーシャルワーカーなんておこがましいな」そんな思いばかりが募った。

何より「自己犠牲」で何とかしようとしていたから。

「自分さえ我慢すれば」「自分が残れば」「自分が責められれば」そんな考えだったから、うまくいくはずもなかった。自信もなくなり、いつの間にか主張することもやめてしまった。ただ、日々の仕事をこなし、時間が終わるのを待つ日々だった。

僕は今病院で6年目、僕の同僚は若いし、僕よりも仕事ができる。僕は今対人の仕事はしていないし、事務的な仕事をメインにしている。それは上司が2年前に鬱で休職したことを配慮してくれたもので感謝している。

最初は電話番や事務仕事なんて、なんで俺がしなきゃいけない?などとやさぐれていたが、今はどうすればスムーズに物事を伝えられるかを考えたり、自分のペースで仕事をさせてもらっているので助かっている。

話はそれたが、仲間がスリップした時にどんな声かけをすればいいかいつも戸惑う。

今日も戸惑った。「こうすればいいんだよ」というのは割と簡単である。でもそれは違う。

僕は想像した。

田中紀子さんなら、高知東生さんなら、スポンサーさんなら、どう声をかけるだろうか、想像した。

そして「今度機会があればミーティングに出てみてくださいね。待ってます」とだけ声をかけた。

僕は無力であるが、何もできないわけではないといつも思う。

そして僕は、他の誰でもないし、しいて言うなら

「ギャンブル依存症当事者であり、社会福祉士である」

初めて自分の中で、そう言ってもいいと感じた。

今日も賭けない一日をありがとうございました。