幸福のハードルを下げてみる。

「何か」がなければ「幸福」を感じられないのであれば不自由だなと思う。例えば「月収は30万ないと幸福を感じられない」とか「完璧な子供でなければ幸福でない」というのであれば「幸福」を感じるのは難しくなる。

僕も昔は休みの前の日とか「これだけ嫌な仕事を我慢したのだから、楽しいことがなければいけない」とギャンブルにふけり、風俗に行き、どんどんエスカレートしていった。

「何か」がなければ「幸福」を感じられなかった。

今は違う。

「何か」がなくても「幸福」なのだ。仕事がないというだけで嬉しいし、おいしいトーストを食べるだけで幸せである。やせ我慢ではなく本当である。

するとどうだろう。幸福のハードルが下がるとあらゆることで「幸福」を感じられるようになる。

晴れだから、車の調子がいいから、良い記事が書けたから、音楽が気持ちいいから、あの人の声が聞けたから、どこかであの人が生きているから。

そんなことで「幸福」を感じられる。

つまり、それこそが「幸せ」なのである。

何も探しに行く必要はなかったである。

「幸せ」を探しに行くよりも「幸せを感じる」能力を磨いた方がいい。絶対に。

ヒントは「自分の好きなことを無理しないでやってみること」だろうか。

たまには銭湯に行ってみるとか、音楽を聴いてみるとか、おいしいものを食べてみるとか、そんなことでいい。

「幸せを感じる能力」を磨いてみよう!!

「今日、5万円なければ幸せではない人」と「起きるだけで幸せを感じられる人」は

どちらが「幸せ」だろうか

僕ですか?

今日も自助グループで新しい仲間を待つことにわくわくします。

今日も賭けない一日をよろしくお願いいたします!