幸せのカテゴリー。

幸せについて考えてみたいと思う。そもそも「幸せ」の定義とは何だろうか?僕はそれは人それぞれだしその人の考えだって毎日更新されているので、「幸せ」も日々更新されていると思っている。

例えば「明日の食べ物を欲している人」の場合、明日の食べ物を手に入れた時に「幸せ」を感じるだろうし、「片思いしている人」であれば両想いになることが「幸せ」だろうし、人それぞれだし価値観も人それぞれである。

「幸せを探すほど不幸になる」という言葉もある通り、あまり「幸せ」にこだわっていては本末転倒である。そもそも「何かがある」から「幸せ」というのは何となく「不幸」であるし、「何か」を手にいれなければ「幸せ」でないというのは「不幸」である。

「幸せ」について考えるのは大事だが、考えすぎるのは「暇」か「疲れてる」かである。おいしいものを食べて寝るに限る。

それでももし「幸福」ついて考えたいということであれば、世界三大幸福論 ヒルティ『幸福論』 アラン『幸福論』ラッセル『幸福論』 あたりを読んでみるといいですよ。これだけいろんな人によって「幸福の定義」は違うのである。

僕もさんざん考えた。たどり着いた僕なりの答えは「幸せとは幸福を感じられる状態にあることである R」ということである。

どういうことか。つまりは精神的にも肉体的にも健康でなければ幸福は感じられないということ。ですね。

例えば、好きな人と会っていてもお腹が痛くてはうれしいとは思えないだろうし、おいしいものを食べていても心配ごとがあればおいしくないだろうし。

僕にとっては「幸せだと感じれる状態にあることが幸せ」ということですね。35歳くらいからの僕の定義ですね。この状態であれば仕事が休みの日に朝起きただけで幸せですね。まじで。

「何かがなければ幸せではない」と思い込んでいる人は気を付けた方がいいです。おそらく「何か」を手に入れても「幸せ」になれず、次の「何か」を追い求め永遠に満たされないので。

まあ、「足るを知る」ということではないでしょうか?

そんなに「お金」は必要でしょうか?

そんなに「モテ」は必要でしょうか?

そんなに「認められること」は必要でしょうか?

もちろん、人間ですから「欲」はありますし「欲」によって発展してきた歴史もあります。

ただ、それを目的にしているといろいろと見失いますよ。ということですね。

最後にミスチルの「幸せのカテゴリー」を聞いて終わります。しかし萌エチル。っていいですね。

今日も賭けない一日を。