最近、日々書くことを躊躇することも多くなった。こういうこと書いたらどう思うだろうか。そう思うことも多い。そんなに気になるなら有料noteにすればいいよ。みたいな話もあるが、やはり、このブログは検索でひっかかるべきで、人の意見を気にする以上に書きたいことを書いている。
前置きが長くなったが、「人は日々、選択をしている」という話だった。例えば明日、大晦日、12時~14時の間、自由時間の人も多いだろう。その時間何をするかはあなたの選択である。ということだ。
例えば
・TVを見る
・本を読む
・ゲームをする。
・ギャンブルをする。
・家族サービスをする。etc
そういう選択肢から選んでいるということ。どれも間違いではない。ただ多くの場合は「家族サービス」をしながら、「ギャンブルをする」ということはできないので、どちらかを選ぶことになる。
実は人生はこの「選択の連続」にすぎない。1日24時間は誰もが平等に与えられている唯一の物だ。その24時間をどう使うかは「あなたの選択である」ということだ。
と、ここまで来て結論が「正しい選択を選べ」ということではない。実は「選択できること」ばかりではないからだ。病気、体調、ケガ、不慮の事故。そういうことは選択できない。つまり、「自分が選択できないこと」もあるということである。
では、どうすればいいのだろうか?風呂で考えた。
その答えは「平安の祈り」の中にあった。
「神さま、私にお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられないものは変えていく勇気を
そして二つのものを見分ける賢さを」
変えられるのは「自分」だけである。変えられないのは「他人」または運命や環境やその他の要因。
大事なのは「変えられるもの」と「変えられないもの」の区別すら、自分たちは危うくて「見分ける賢さ」を「与えてください」という点である。
僕はいよいよ、平安の祈りの言葉を噛みしめている。
今日も賭けない一日をありがとうございました!