
クリスマスの思い出の記憶を探してみても、ロクなことがなかったので、2年前くらいの話を。
それは離婚して、ギャンブルもやめられず、途方に暮れていた。子供のいない生活は自由な反面、途方もない寂しさだった。
その頃、僕はよく教会に参加していた。お金がない時は、お昼を食べ、人のぬくもりを分けてもらっていた。
そして何よりも、救われたかった。
どうしようもない自分を。子供と離れてしまった自分を。ギャンブルをやめられない自分を。孤独な自分を。お金がない自分を。うまく社会に適応できない自分を。
救ってほしかった。本当に。
「お前は生まれてきて良かったのだよ」 と神に言われたかった。
そういう必死の思いで通っていたし、教会の子供たちと遊ぶのも好きだった。ある時から自分の時間を使うために教会に通うことをやめてしまった。それまではクリスマスはミサに参加していた。荘厳なミサに参加していると自分も救われるのかもしれないと思えた。
今でも、教会は好きだし、海外の教会もたまに行くし、思想も嫌いではない。世界中の人が救われたらいいと思う。
そういうための宗教だとも思うし、救われたい人が救われたらいい。
今の僕は、「救われたい」という概念は必要なくなってしまったが、時々あの孤独な中で神を求めた純粋な気持ちを思い出しては切なくなる。
すべての人へ、メリークリスマス!