認めることから始める。

「ギャンブル依存症じゃなかったら、どんなに良かったのに。」と何度思っただろうか。ギャンブル依存症ではない自分を妄想しては現実にうんざりする。そんなことを何度繰り返しただろうか。

僕が理解した結論は「自分からは逃れられない」という真理である。誰かに憧れることや自分を変えていくことはできると思う。だけど、基礎となる自分からは「逃れられない」ということである。

以前は、いや1年前までは「自分じゃない誰かになりたいなあ」と常に思っていた。それほど自己を嫌悪していた。理由はいろいろとあるけれど「ギャンブルをやめられない」というのも大きな要因になっていた。

それほど「自分を好きになる」とか「自分を認めてあげる」というのは難しかった。なぜなら、そういう思考パターンがなく、自分を責める思考パターンしか持っていなかったから。

それに加え、毎月、毎月、スリップしては自己嫌悪に陥っていたから、自己評価は底の底だった。口癖は「どうせ」や「無駄」といった言葉だったし、そんなネガティブワードがメンタルに悪いことは知っていたが、どうすればいいのかさっぱりわからなかった。

そしていつも思っていた。「ギャンブル依存症じゃなかったらなあ」、「こんな自分じゃなかったらなあ」と。だけど気づいてはいた、「自分からは逃れられないのだ」という真実に。

そう、僕は自分ではないものになりたがっていた。それほど自分を嫌悪していた。いつも「死ねばいいのに」と思っていた。

それなりに恋人や結婚や子供など環境で、自分を好きになる瞬間はあった。だけどまた同じ闇に落ちてしまう。また「やめられない」のである。「どうしてなんだろう?」何度も何度も思った。

去年、自分を「ギャンブル依存症」だと認めることから始めた。まず、そこから始めた。「認める」ということは言葉では理解していても、本当に理解するのは難しい。なぜなら「ギャンブル依存症」だと認めなければならないから。それは敗北に近いから。

でも、敗北を認めてから、僕は回復しだした。

不思議なものだ。そして今は自分のことを「まあ しょうがないやつだな」くらいには思っている。やっと自分の土台ができたと思っている。何より、ギャンブルをして「自分を苛める」必要がない。

僕は常々「自分はOKである」と認められたら、人生は成功だと思っている。普通の人なら、普通に持ち合わせている感覚。それを取り戻せたら、僕は僕を生きていける。ただそれだけである。

そして、自分を責める必要のない人生はこんなにも「楽」である。

よい、週末を。