ドクターキリコと自傷行為としての依存行為。

まあ ちょっと意味深なタイトルをつけてしまった。この記事はあまりリンクを貼らないので、気になった人はググって調べてね。

ALSの患者の自殺幇助をSNSで知り合った医師が加担したという事件があった。この事件にはあえて触れないが、知り合ったのがSNSというのが何ともね。

こういう事件が起きるたびに僕はドクターキリコ事件を思い出してしまう。

ドクター・キリコ事件(ドクター・キリコじけん)とは、1998年12月12日に東京都杉並区で起きた、自殺志願者に青酸カリが送付されて発生した自殺幇助事件である。

Wikipedeaより

まあ この時の事件の印象深いのはドクターキリコなる人物は「生きるためのお守り」として青酸カリを自殺志願者に送付していたことだった。

まあ 昔の事件なので、何とも20年も経っている。この頃は、ネットもまだまだ発達してなくて、自殺志願者なんて変な人と思われていた。だけど世の中には「生きづらさ」が蔓延していて、僕もその1人だったし「完全自殺マニュアル」がベストセラーになる時代だった。

今でこそ、いろんな生き方やマイノリティも認められる時代ではあるが、当時はそんなことはなく、リスカ、ODなどは「やべえ奴」としか見られていなかった。僕も当時は自殺企図にOD、リスカと「生き延びるため」なら何でもやった。

最近、あの頃にめちゃくちゃしていたサバイバーとよく話をする。そして僕等の中でよく出てくるのが「僕等大人になっちゃったねえ」という、良いような、そして少し寂しいような感覚だった。

そうあの頃の僕等も40近くなっていて、そこそこ生き延びて、「生きづらさ」が薄まってきて、あのザラついた感覚がなくなっていた。

だからどうしたといわけではないが、僕にとって依存行為は自傷行為だったのかもしれないとふと思ったのだ。そして、今は自傷行為をしなくても生きられるということなのかもしれない。

なぜ、そうなったのかは明確に言語化できないが、そういうことなのだと思う。「自傷行為」をしなくても生きられる程度にはなったということだろうか。

また別の機会に考察してみたい。

関係ないが普通に食べ物を摂取でき、おいしいと感じられるのは幸せだなあ。

生きてて良かった(笑)