
ちょっとこのお題については、書ききれる気がしないけど、考察は感じているうちしか書けないので、書き出してみたいと思う。
そもそもの始まりは、最近恋をしていて、相手にどうも支配的だなあと感じることがあって、どうも僕はそれが心地いいと感じることがあるようだし、以前、仲間と「支配する者とされる者の話」をしていたし、違う場面では「恋は支配するかされるか」みたいな自分の発言に少し引いてしまったことによる。
よく依存症界隈では「コントロール欲求」、つまり相手をコントロールしたいという欲求の話が出てくるが、自分にもあるんだなあと最近感じている。
なんというか、「認知のゆがみ」だよねえ
そういうことを考えていると、関連した記事が目について、読んでいた。確か「男尊女卑」みたいな記事と「美人な妻を持つ上司が浮気をするのはなぜか?」みたいな記事だったけど、まあ あまり記憶に残っていない。
ただ、自分は恋愛において、支配欲があるのだなと認識したのだった。そこに快楽を感じるから、いろんな人を試してみたいのかもしれない。と思った。風俗がやめられなかったのも関係があるのかもしれない。
そこで僕は仕事中だったけど、サイコダイブすることにした。
そもそも、僕の歪んだ認知、支配欲はどこからきたものなのか、いろいろと調べていくと自分が支配されないために、他人を支配したいという欲求が生まれると書いた記事を見つけた。まあ そうかもしれない。
僕の支配欲は、恋愛対象に向けられる。だけど、特に束縛するわけでもないし、何か暴力的なことをするわけでもないけど。
同性には支配的ではない。そもそも興味がない。
というか人間関係の構築が二元論なのだ。「敵か味方か。」「恋人かそれ以外か」みたいな、その中間がいない。「どうでもいいか、よくないか」みたいな、いびつな認知。
たぶん、それは自分を守るための子供の頃からのサバイバル術だったと思う。残酷な世界で、傷つきやすい自分を守るための、生き残る術。
一瞬で、「この人は自分を傷つけるか、そうでないか」を判断しなければいけなかった。僕にとって他人はそれだけだったから。「自分の敵か味方か」そんな世界で生きていた。
だから、大人になって恋愛をするようになって、きっと見捨てられ感なのかなあ。支配したくなってしまう。支配と言っても「いつでも好きでいて」みたいなレベルだが。
まあ、最近それを自分で理解したのは良かったと思う。自分が支配的になっていないか、気を付けることができるから。
昔、僕は世界の王になろうとしていた。この世界を焼き尽くし、新しい世界の王に。みたいな。草。
よっぽど 友達いなかったんだな。あるいは歪んだ幼少期を過ごしたか。
ほっとけ。 終わり。