パチ屋に並ぶ人と僕はどこが違うのか。

結論から言うと全く変わらない。たぶん 去年コロナに襲われていたら、僕は並んでいたし、自殺していたかもしれない。本当にそう思う。何度も言うが僕はパチ屋に並んでいる人と何も変わらない。一度やってしまったら、再び行き出してしまうのだから。そういう病気だから。

少し違うとすれば、それが病気だと認識していて、一度やったら戻れないことを知っていることだろうか。だけどそれさえもブレーキになり得ない。理屈ではないから。そういう病気だから。去年こういう状況であれば、僕は普通に並んでいて、さらにギャンブルしている自分に耐えられなくなり自殺していたと思う。

たかが、ギャンブルで自殺?と思う人は何もわかっていない。この病気の怖さを。今だって少しも変わらない。ただ、行かないだけだ。それはきっと奇跡的なことで、僕の力ではないし、仲間のおかげだと思っている。

先日、たまたまでもないか、昔よく見ていた動画チャンネルで、好きだったスロットの新台が出ていてザワついてしまった。こういうのは一生消えないんだろうなと思ってしまった。

僕にとってギャンブル依存症の問題は文字通り、生きるか死ぬかの問題である。死なないためにはあらゆる回復の手段を講じなければいけない。自助グループ、ミーテイング、プログラム。さっき去年のTwitterを見たら、普通にGWにスリップしていた。そういうもんだ。

今やめているのは、たまたまであり、奇跡だと思う。決して僕の力ではない。この1年間、僕は生き方を少しずつ修正してきた。そのズレを修正するには痛みを伴い、1mmずつしか変えられなかった。1年でやっとここかあという思いとまだまだこれからだなあという思いである。

新しい人間関係、環境に身を置くのは、非常に大変だ。できることならそんなことはしたくないと思うのが普通である。できれば働きたくないし、じっとしていたいし、新しい人間関係なんて面倒くさいのだ。誰でもそう思う。

だけど、自分を変えるためには人と出会わなければいけないし、人の話を聞く必要がある。新しい生き方をしなければいけない。それには痛みを伴うし、勇気がいるかもしれない。もしかしたら、人前で恥ずかしい話を話さなければいけないかもしれない。

でも、もしあなたにとって依存症の問題が「生きるか死ぬか」の問題であるならば、やってみる価値はあると思うし、やってみなければいけない。だけど、人は依存症の問題を「生きるか死ぬか」の問題と認識しなければ変われない。

もし、僕があなたの役に立てるとしたら、こうやって回復してきましたよ。と伝えていくことだと思っている。それが僕の役割だと思っている。