足りない気持ち。

ACの特質かどうかはわからないが、子供の頃から常に「自分は足りないのだ」と思ってた。だから、何かつらいことやハードルをクリアしたときに「これで満たされるかもしれない」と期待してしまって、何もなくて、失望ばかりしていたと思う。

だけど、本当は「足りない」と思いこんでいたのは自分の歪んだ考えなのであり、ありのままの自分でも「足りない」わけではなかったし、足りなかったとしても、何ら問題はなかったのである。

その歪んだ考えは高校入試から始まっていた。「こんなに勉強して高校に入ったのだから、愛されてもいいはず」そんな期待で高校に入ったもんだから、高校生活で何もなかった時には愕然としてしまった。そしてすべてのやる気を失ってしまった。

その考えはそれからも続いた。「大学入ったのに」「一人暮らししたのに」「働いているのに」「病気なのに」「結婚したのに」「子供できたのに」そのたびに絶望していた。その歪んだ考えはおそらく幼少時代に形成されたものであり、「今の自分を認められず、本当の素敵な自分は他にいるはず」という妄想に近いものだったと今なら思える。

大事なことは「足りない今の自分」であっても自分でOKが出せるかどうかだった。それに気づくには他者との交流が不可欠だった。依存症の自助グループや仲間の話を聞いてやっと「今の自分」でもいいのだと少しずつ思えるようになってきた。

それまでは「足りない自分」を隠すのに必死だった。そういう意味では少しずつ楽になっていってるのかもしれない。まあ45年かかってるけどね。