仕事論。

仕事に対する考え方は人それぞれだし、年齢によっても考え方も変わると思う。あくまで僕の考え方を少し考察してみたい。人は仕事に左右されてしまう。稼ぐ手段がなければ、稼げる地域まで移動しなければならない。

今、地元にいるのは子供がいることが大きいが、仕事があるからである。もしもリストラされて、就職先がなければ、都会に出るだろうな。それくらい仕事は人生に影響している。

社会に出る前、大学の頃、「なぜ、社会に出なくてはならないのか?」「なぜ、働かなくてはいけないのか?」と思っていたバカだった。そのくせ、成功意識だけ強くて自意識が強いガキだった。だから20代は言い訳をしながら、親の金を貪り、実力もないくせに起業しようとして、金だけせしめて、ギャンブル、ひきこもりをしていた。まあ 寄生虫だった。

20代に地元企業に勤めたこともあったが半年でやめた。あとはアルバイトばかりしていた。その金もギャンブルで溶かしていた。ともかくその頃、親に寄生していた。経済的にも、精神的にも。

ただ、それが激変したのが、祖母が脳梗塞で倒れてからだった。たぶん29歳頃だったと思う。僕は寄生先を失った。そして経済的に困窮した。それで初めて「自分で稼がなきゃいけないんだ」とうすうす気づいた。そして実家にも居場所がなくなり、実家を出るために就職先を探した。

ただ、大学を出て、ろくに働いてなかった僕にはまともな職歴がなかった。経験がなかったのだ。中途だと経験がないと採用されないという事実はそこで知った。どうしようもなくて、タウンワークのような雑誌で派遣の仕事を始めた。初めは宇都宮へ行って、工場で働いた。

そこで初めて労働というものを知った。手取りで12万くらいだったけど、住居は提供されたし、食事も職場にいいけば食べれたし、ただ歯車だったけど。それからは派遣会社で働いていた。派遣の仕事は当時どこにでもあったし、全国のどこにでも行こうと思っていた。

その後は四日市にも行ったし、その後は宮崎にもいった。ともかく誰にでもできる仕事だったし、そういう仕事しか仕事がなかった。でもそのうちに違う仕事をしたいと思っていた時に、派遣業にリストラにあって地元に戻った。たぶん、35歳くらいだったと思う。

それからは失業保険をもらいながら、これからは介護の仕事があるなあと思い、ヘルパー2級に資格を取った。だけどまた地元には仕事はなかった。経験が優先されたからだ。だから、また全国で探した。寮つきで。その時、介護の仕事は全国的に人出不足でたまたま埼玉の施設で募集していて採用された。

そこで経験を積み、介護福祉士を取った。だけど、介護の現場の仕事は楽しいだけど、きつくてよく病気にもなった。夜勤もあった。そのうちに介護業界でも労働環境がいい相談員の仕事をしたいと思った。そこで仕事をしながら、専門学校へ通った。

埼玉で2年の経験の後、地元に帰った。地元で介護の仕事に就きながら、社会福祉士を取った。たぶん38歳くらいだと思う。それから、病院に転職して、今は病院にい勤めて5年が経った。

失業中は、お金に囚われていた「給料いくらなら、結婚できるんだろう?」とよく考えていた。その時は「やりたいこと」の仕事ではなく「生きるための」仕事になった。失業中に同じ講習を受けていたおばさんに言われたことが今でも仕事の指針になっている。それは「自分に仕事を合わせるじゃなくて、仕事に自分を合わせるんだよ」と言われた。ハッとしたものだ。

それまでは「自分の考えがすべて正しい」そんな気持ちだった。でもそれではうまくまわらなかった。それは自分の考えが間違っているかもしれないということだった。

今、労働環境は恵まれている場所にいるが、それでも1年に2か月くらいは休職していた。たぶん今後は「生きるための仕事」から「無理なくやれる仕事」へシフトしていくための努力をしていくだろう。結構地味な努力は好きだから、頑張ろうと思う。