不安障害について考えてみる。

僕は不安障害であった。あったというのは今は服薬もしていないし、ましになった。ということである。不安にはなるが日常生活はおくれているというくらいであるが。少し考えてみたい。

そもそも不安障害とは何か?人は不安を抱えて生きている。その不安が日常生活を脅かすほどになると不安障害だと思う。具体的に言うと月曜日の仕事が心配で外出できないとか。会議が心配で失踪してしまうとか。不安で不安で眠れないとか。

僕の場合はひどい時はあらゆることが不安の種になった。老後の生活は?来週の会議は?今月の支払いは?子供は生きていける?あの人に嫌われてない?などなど。不安に思うことに不安になったりして、もうドツボである。

あまりにひどい時は薬を使った。もちろん処方されたものである。まあただ今考えると抗不安薬はいろいろと日常生活に弊害が出ていた。眠り過ぎるとか仕事の判断が遅くなるとか。

今不安がましになった要因というものを考えていたが、これというものはなく、いろんなことがうまく回っているからだと思う。ギャンブルはやめていて、彼女がいて、返済はできていて。

ただ、不安というものはキリがなく沸いて出てくる。次の仕事はどうしよう?今日のご飯は?SNSのあの人は?とかとか。

もう考えるのは辞めた方がいい。

いつか僕はロボットになりたいとさえ思っていた。感情も傷つくこともなく、ただただ生きていく。

まあ そんなことは今は思っていないが。

そして本当に不安を解消したいのであれば、森田療法やいろんな心理学的アプローチもあるし、診療科も存在するから、頼ればいいし、大抵の本は「体を動かしましょう」とか「紙に書き出してみましょう」とかであるし、やってみた方がいい。もし病的であるなら迷わず受診した方がいい。

病的でないならば、残念ながら「不安とともに生きる」しかない。不安は悪いことばかりではない。向上心につながるし、いざという時の備えにもつながる。コロナ禍だし不安になることも多いだろう。ただ不安になりすぎることはない。何とかなるものだ。

「寂しさ」という感情も同様だ。「寂しい」からと言って24時間誰かと電話したところで、電話を切った瞬間から寂しくなる。そんなものである。ましてや「寂しい」と言ったから誰かがそばに来てくれるわけでもない。仕方ない感情である。

逆に言えば「寂しい」からこそ、出会うのであり恋をするのではないか。

いずれにせよ、「不安」や「寂しさ」にフォーカスし過ぎてはいけない。ずらすのだ。ずらして違うことをすればいい。掃除とか料理とかそうしているうちにやがてどこかへ行く。そんなものである。だからあまりフォーカスしてはいけない。「またきたか」くらいのものである。

想像してほしい。僕が「子供と会えないのが寂しい」と1日中布団から出なかったらどうだろうか?もちろんそういう時期もあった。ただ、そうばかりしてはいられないのだ。仕事もしなればいけないし、ご飯も食べなきゃならない。「寂しさ」や「不安」に構っている暇はない。

そういうことかもしれない。

1つ思い当たるとすれば「今日一日」という生き方をしているおかげだと思う。昨日の後悔ではなく、明日の心配ではなく、今日一日を意識して生きている。それは刹那的ということではなく、「今を生きる」ということである。これは頭でわかっていても難しい。人は昨日を後悔するし、明日を心配するからである。それでも意識して「今日を楽しむ」それに尽きる。

まあ ゆるゆると付き合っていきましょう

あと 結構参考になる本を紹介します

カーネーギーの「道は開ける」です 神経症の人のための本でもあり、普通の人の本でもあります。文字通り「道は開ける」です。世界的ベストセラーですね。ご一読を。

 道は開ける
created by Rinker

今日も賭けない一日を。

+3