助けてが言えない 僕の場合。

「助けてが言えない」というか僕は自分の意見が言えない子供だった。そういう環境で育った。今でも思い出すエピソードがある。隣の家に幼馴染の兄弟が住んでいて僕は仲良くしてもらっていたし、彼らの両親にもよくしてもらっていた。小学生の頃だろうか、彼らの両親と彼らと僕とで寅さんの映画を観に行った。その帰りにみんなでごはんを食べていた時、彼らのお父さんが僕らに聞いた

「今日の映画、どんなところが面白かった?」と

幼馴染は「あの場面が良かった」とか「あのおじさんが笑っちゃったね」とか話していた。

R君は?と聞かれた時答えられなかった。

映画が面白くなかったわけではなく、そうやって「意見を求められたこと」がなかったのである。本当に。

僕の家は大正生まれの祖父母と僕だけだったし、NHKしか見ることができなかったし、僕の意見は求められなかった。そういう抑圧された中で育つとそれが当たり前だと感じてしまう。いつしか僕は自分の「好き」「嫌い」「寂しい」「楽しい」という感情を封印していくことになる。ひたすら「人に迷惑をかけないように」生きていく。それも敏感に。世界に嫌われないように。

今思えば、軽い虐待とも思えるがそれを養育者に誰かが助言してところで変わるわけもないし、僕は変わらず、その檻の中で生きなければいけなかった。そういう主観的なことを話すと誰もが「ご両親だって苦労されたのよ」と言う。もう「あ、そ」というしかない。

そういう中で僕のセルフステイグマは強化されていく

「ああ こいつらはわからないんだ。僕を理解する人はこの世にいないんだ」と。

そして、それは恐ろしいことに45年間続いた。

大人になっていろんな経験をすれば改善されるか?そう簡単な話ではない。

僕は5年前から3年間、パワハラで毎年休職していたが、その時は通院で有給を取る必要があったので「今度の土曜日用事があって休みたいです」が言えなくて、結局服薬していないから調子を崩していた。そのレベルである。本当に。

じゃあ なぜ、今は変われたのか?

単純である。練習したのだ。

そしてこれが大事なのだが

「自分の意見を言っても批判されない、不機嫌な顔をされない、安全な場所」で練習したのだ。リハビリとして。

そして、2年間のリハビリの結果、今がある。

それは「生きててもいいんだよ 」を獲得した世界だった。

今は世界はこれほど安住で生きやすい世界なのだと実感している。

抑圧されてきた人間が普通に生きるのはたやすいことではない。ただ、できないことではない。難しいけれど。

まずは自分が何が好きか、理解することから始めてみよう。

そしてそれを誰かに伝える。

そして安全を確かめる。

リハビリをする。

もちろん、これらのことは生育環境もあっただろうが、僕の個人的な性格や性質に起因するところも大きいと思っている。

*あくまで僕の個人的経験である。必要な人に必要な支援が届きますように。

今日も賭けない一日を。