父を訪ねて三千里。

僕は生きた父に会ったことがない。なぜなら僕が40歳の時に対面した時、父は遺体だったから。

それを特に悲しいとは思わなかった。「ああ ついに会えなかったかあ」くらいであった。

僕が生まれて半年で母は死んだ。父は。。。。行方不明になった。少しだけ詳しく書くと僕は生まれて半年で母が死んで祖父母の養子になった。父はその時どうしたかはわからないが、独りになり、やがて借金を作って消えた。父方の家にはいろいろと迷惑をかけ、父の兄でさえ父の行方を知らなかった。

僕は何も知らずに育った。母が死んだことも父がいなくなったことも知らずに育った。祖父母が両親だと思って育った。やがて生理学的にありえないという結論に達するのだが。

僕が両親(祖父母)に実は本当の親ではないのではないかとうすうす思っていた時、僕が反抗期になり屋根裏から赤ん坊の写真を見つけた。その写真の裏には違う苗字と僕の名前がボールペンで書かれていた。

その苗字には見覚えがあった。時々遠くから年賀状が届いた。それは父のお兄さんの年賀状だった。

当然、僕の世界はぐにゃりと歪み、僕は世界を拒絶し、恨んだ。

「なぜ知らせなかった?母が死んでいるとなぜ嘘をついた?」

僕は祖父母を責めた。今思えば祖父母も辛かったと思う。60代になってから赤ん坊を引き取り育てた、我が子として。辛い思いをしないようにと母の死と父のことは伏せて。

でも僕は知ってしまった。16歳の時だった。それから祖父母から真実を聞いた。その後叔父や叔母から死んだ母のことはよく聞いた。体が弱いが頭のいい人で兄弟で唯一福祉系の大学に行き、身を粉にして福祉施設で働いた。そして赤ん坊を残して死んだ。生まれて半年だった。妊娠尿毒症。母の体はもたなかった。当時の労働条件の問題提起として地元の新聞に父に抱かれて僕が載っていた。

死んだ母のことはみんなよく話すし、こういう人だったと理解していた。だが、父のことは誰もよく知らなかった。本当に。母の施設で出会ったくらいしか、母の兄弟は父のことを知らなかった。

失踪した父のお兄さんは実家で農家をしていた。父は借金を作り、お兄さんに迷惑をかけてそれ以来実家に寄り付かなった。

誰も行方を知らなかった。。。。

僕は20歳からずっと父の痕跡を探した。探偵に頼もうと思ったり、TV番組にも出ようと思っていた。がやがて忘れていき、死ぬまでに会えたらいいなと思っていた。

41歳で結婚する1年前。地元の県警から電話が来た。

「Rさんですか?」

「はい。」

「実はあなたのお父さんと思われる方が東京のアパートで亡くなっていました。身元確認のためにDNA鑑定をしたいので来所していただけますか?」

僕はスマホを持ったまま、しばらくぼーとしていた。

「会えなかった」 そう思った。

DNA鑑定が終わった後、無縁仏として預けられていた東京の区役所を訪ね、遺品を少しもらい、生前の身分証で顔を見た。思ったより老けていて、おでこが広かった。

「ちっ、禿げてたかあ」と内心思った。

それから葬儀屋に骨になった父に会いに行った。僕の親族や父の兄弟に相談し、父はそのまま無縁仏としてもらうことにした。季節はもう桜の咲く頃だった。

悲しいというよりも、どんな思いで40年間過ごしてきたのだろうか、息子に会いたくなかったのだろうか。僕は借金から逃げ続け、息子に会えなかった孤独な父の人生に思いを馳せた。

人生はあっけないな。僕は性格が似たからよくわかる。

父は息子に会いにいけなかったのだ。祖父母に引き取られた僕に会いにいける顔がなかった。きっとそうなのだ。

でもね、父さん。

僕は会いたかったんだよ。

いい夢みろよ。

僕は息子にみっともなくても会い続けるから。

あなたができなかった息子への愛を僕は息子に伝え続けるよ。

ありがとう。

今日も賭けない一日をありがとうございました。

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