分断の向こう側へ。

最近よく「分断」という言葉が使われる。壁とか溝とかという意味だろうか。「分断」は差別や排除を生む。ではどうしたらいいのだろうか?

「想像すること」と「寄り添うこと」だと思う。

「想像すること」は「知ること」でもある。例えば「アルコール依存症」を考えてみよう。僕は今のところ「アルコール依存症」ではないので、正直に言えば気持ちがわからないと思う。

だけど、「知ろう」と思う。そして「想像してみる」そうすることによって「寄り添える」からだ。決して差別するのではなく、排除するのではなく、「寄り添う」。

「自分は酒を飲まないからわからない。」それはそうかもしれない。でも「アルコール依存症」にこれからなるかもしれない。だから「知ること」「想像すること」が大事である。

「コンビニとかにも売ってるし、大変だよなあ」とか想像できる。決してわかるわけではない。だけど「知ること」「想像すること」で「寄り添える」のではないだろうか。

性的嗜好だって違う人もいるだろうし、他の人のは知らない。だけど 「知ること」や「想像すること」はできる。そうすることで、排除することや差別することはなくなるかもしれない。

誰かを差別、排除するということはそのまま「自分もそうなるかもしれない」という恐れを生み出す。そうして疑心暗鬼の世界が作り出される。疑心暗鬼は差別は排除を生み出す。

だから、「知ること」や「想像すること 」が大事なのだ。「自分を認めてもらう」ためには「他人も認めること」である。

かと言って僕も人を非難することもあるし、したくなることもたくさんある。そういう時は「ああ 今自分は人を非難してるんだなあ。配慮がないなあ」と気づけばいいのである。

「分断」を防ぐには「知ること」「想像すること」そして 「寄り添うこと」が大事だと思う。

今日も賭けない一日をありがとうございました!