実はギャンブルが問題ではありません。

大事な話をしますが、あなたや僕らの問題は単にギャンブルの問題だけではありません。ギャンブルの問題は「氷山の一角」に過ぎません。

多くの場合はその奥に問題が隠れています。何が隠れているかは個人によって違いますが、よく言われるのは「生きづらさ」の問題です。

僕も最初「そんなことはないし、ギャンブルをやめることで解決するのだ」そう思っていました。しかし、ギャンブルを辞め続けても、一向に生きづらいのです。

「はて、どうしたものか?」そう思いながら、12STEPを続けていました。自分を調べ、考え方の癖を理解し、仲間と分かち合うことで、少しずつ変わっていったのです。

今でも「生きづらさ」はありますし、不器用でもあります。ただ、昔よりずっと生きやすいですね。

例えば僕はずっと「生きる資格のない人間だ」と思っていました。本当の話です。何が原因とか生育歴とかいろいろとあるのかもしれません。そうやってそれを抱えたまま生きてきてしまいました。

でも、やっとそれを手放すことができました。やっと「生きててもいいんだ」と感じることができています。普通の方には信じられないかもしれませんが。

「生きる資格のない人間」と感じているとどうでしょうか?人に会うのが怖いですし、何かを始めるのも怖いです。さらには自分のことがどうでもよくなります。本当にそういう世界を生きていましたし、どうすればいいのか全くわかりませんでした。

『自己治療仮説』という考え方があります。1985年に心理学者エドワード・J・カンツィアンが提唱した理論で、人が依存症になるのは、無意識のうちに自分の抱える困難や苦痛を一時的に緩和するのに役立つ物質を選択した結果であり、究極の「自己治療」であるという考え方です。

つまり、生き延びるために依存行為をするしかなかったとも言えます。僕にとっても世界と繋がっているため、生き延びるための行為でした。ただ、どうしても現実のシステムの中でははみ出てしまうのです。

だから、ギャンブルの問題はあなたの問題の氷山の一角であり、見つめなければいけないのはその奥にあるものです。

「なぜ、ギャンブルをしなければいけないのでしょうか?」

「勝ったお金で何をしたいのでしょうか?」

「本当は何に困っているのでしょうか?」

僕はずっと「バンドの仲間」を探していました。ずっとです。あんないつも集まって一緒に過ごしていいなあと。楽器もできないし、人に会うのも怖い癖に憧れていました。

でも、もう探す必要はなくなりました。

僕も変わりましたし、楽器などできずとも仲間はすぐそばにいます。それに誰かが今日も僕を待ってくれています。それで十分とわかったのです。

僕は今日もあなたを待っています。共に生きるために。