生きづらさの正体。

取材を受けていた時に引っかかっていたことがあった。「依存症の方はみんな生きづらさって言葉を口にするんですよねえ」という言葉だった。

確かに依存症の根本にあるのは「生きづらさ」だと思う。だけどいったいその「生きづらさ」とは何なのだろうか?

そもそも「生きづらさ」の反対は「生きやすさ」ではあるが、そもそも世の中を 「生きやすく」生きている人なんているのだろうか?誰しも「生きづらさ」を抱えているのではないだろうか?依存症の人だけではなく、依存症以外の人もである。

おそらく「生きづらさ」というのは「生きやすい」の反対ではあるが、「どうも生きにくい」みたいな本人の感覚でしかない。最近の「繊細すぎる人」みたいな流行言葉で単なるラベル付けなのだろうか?

いやしかし、確実に「生きづらさ」は存在しているのだ。僕の場合を考えてみよう。僕自身、依存症の真っ最中の時に「生きづらそうですね」と言われたところで、それしか生きる術を知らないので、「は?それで?」みたいな感じだった。本当に。

だけど、今「回復のプログラム」終えて、1年くらい経つが恐ろしく「生きやすい」のだ。笑ってしまうほどに。

具体的にどういうことなのか、考えてみたが

・対人恐怖的ではなくなった。

・不安すぎることもなくなった。

・心配しすぎることもなくなった。

という意味で、「生きやすく」なったという意味である。

さらに言うと、僕にとっての「生きやすさ」とは「自分を許せるかどうか」であった。「自分を好きかどうか」ではなく「自分を許せるかどうか」だった。それさえできれば人生は終えてもいいとさえ思っていた。

そして、今は「自分を許せている」。「自分が好き」みたいなポジティブモンスターは気持ち悪いが、せめて「君は生きててもいいよ」くらいにはなっている。

それこそが僕が欲しかったものであり、「生きやすさ」の正体である。

信じられないかもしれないが、依存症の最中の時は自分を呪っていた。「もう死ねよ。」「もう生きてなくていいから。」そうやって自分を呪うもんだから、自信なんてあるわけもなく、隙あらば死に向かおうとしていた。

それを考えば今は幸福である。「自分をいじめなくていいから」「自分をいじめる必要がないから」。

依存行為は「自傷行為」だと言われることがある。確かにそうかもしれない。僕自身「地獄に落ちればいい」と呪いながら賭けていたのだから。

「自分を許さなければいけない理由」は人それぞれだと思うので、ここには書かないが、大事なのは「今日」だし、いつか依存症から回復すれば、もう「自分をいじめる必要がない」ということを書いておきたい。

僕自身、18歳から心理学、哲学に傾倒し、カウンセリング、内観、インナーチャイルドみたいな遍歴を経て、それらが役にたったかどうかは知らないが、最近ポッと抜け出せた。そんな感じである。

だからというわけではなくが、僕は依存症のあなたにかける言葉を知っている。なぜならその言葉は僕が昔かけてほしかった言葉だからだ。

その言葉をあなたに贈りたい。

「大丈夫、生きててもいいんだよ」

この記事は何かにとりつかれたように一気に書いた。きっと何かが書かせてくれた。ありがとう!

「生きづらさ」を抱えているあなたに届きますように。

今日も賭けない一日を。

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