罪と罰。

罪と罰。いいタイトルだなあ。記事も負けないように書こうっと。最近 罪と罰について考えることがあったので、少し書いてみたいと思う。

きっかけになったのは仲間の言葉。それは

「ギャンブルで借金をして家族に迷惑をかけてきたのだから、生きる価値もない。」という嘆き。

また 僕自身も離婚して、子供はまだ4歳で

「ギャンブルが原因で離婚することになって、子供に悪いことをした、償いをしたい。」と思うことがある。

このことから少し考えてみたいと思う。まずは「罪を犯した者は一生贖罪の気分で生きなければいけないのか?」

ギャンブルをやめても、借金返済の日々で家族に「またギャンブルやってないでしょうね?」と疑いの目をかけられ「ギャンブルはしてないぞ!!」とキレる思いと「家族には申し訳ないことをした」という思いと「いつまで俺は償いをしていかなければいけないのだ!!」という思いを抱えることもあるだろう。

当然である。

ただ、家族の思いだって当然である。それだって、ただ単に心配の意味で声をかけているだけかもしれない。

そもそも依存症の人の思考は「0か100か」である。「申し訳ないから消えるしかない」とか極端なのである。僕も含めて。僕も「理解できないなら離婚する」と言って離婚したのだから、笑えない。

当たり前だが「人生は白か黒ではないし、ほとんどはグレーだし、時間、環境によって、自分の考えも周りの考えも変わる」ということである。

ギャンブルをやめ、借金返済をしていき、自分も家族の考えも変わるかもしれない。それは時間が解決してくれるものかもしれない。そういうことは多いのだ。

僕の子供にい対する気持ちだって、時とともに変化するし、できることをやってあげようと思うだろうし、いろんな人の意見も聞いてみて、自分の考えをいろんな角度から見てみるとまた違うと思う。

確かに家族に迷惑をかけたかもしれない。それも事実だろう。でもそれでも僕らは毎日、誠実に暮らしていくしかない。それ以外に何があるのだろう。どれだけ謝れば罪は許されるのだろうか。

罪を犯した人間は幸せになってはいけないのだろうか?そんなことはない。そもそも依存症が罪かどうかはあるだろうけど、誰かを傷つけたという意味では罪かもしれない。でも、それだって埋め合わせをし、謝罪し、誠実に生きていけばそれでいいと思うけど。

よく犯罪者に対す社会の「死ぬまで許さない」みたないな意見を目にすることがあるけど、辛いなあと思う。それが社会なのかもしれないけど、辛いと思う。いくら「リスタートできる社会」がいいと思っていても、犯罪者や傷つけられた家族はそうは思わなかったりする。まあ それもわかる。

でも、時間がかかってもいつかは許してほしいと思う。傷つけた方だってそう思っているのだ。

「許してほしい」と。

ただ、不器用で、口下手で、すぐに感謝ができなかったり、そういうことなんです。少しずつ変わっていくので、長い目でみていただけたら嬉しいです。はい。

ま、そういうことを同じ悩みを持つ仲間と共有できたら心が軽くなるかもしれませんね。いつでもオンラインミーテングでお待ちしております。

よい週末を。