ここだけの、幸福論。

本当に大事な話

コピーライティングの練習をしています。もしも記事を開いてくれたらうれしいです。

TLにふと、「自分の幸福は自分で決める」みたいなことが流れてきて

まあ 確かにそうなんだけどな。と思いながらいろいろと思いを巡らせているわけです。最近結構、「自分にとっての幸福」ってものを考えることが多いですね。「幸福を探すことほど不幸なことはない」という言葉もありましたね。

ギャンブルはやめ続けている。じゃあ次は自分はどうなっていけばいいのかはよく考えるんですよね。「貯金1億」とか「起業する」とかのテンプレートではなく、自分はどうしたいのか?と。

そういう時の基準になるのが「自分にとっての幸福」とか「自分基準」とかになるとは思うんです。例えば僕はスーパー銭湯が好きなんですけど、他の人にとってはそうでもないかもしれないし。僕は買い物は苦手でも他の人は好きかもしれないし。

「自分が何に快を感じるか」は大事ですよね。

逆にそれを感じれない人は練習しないと難しい。他人の価値観の中で生きてくると「自分の価値」がわからなくなります。「人がいいと思ったもの、音楽、味、匂い」を基準としていると、「自分の感覚」がわからなくなります。

僕も45歳くらいまでそうでしたね。ある程度、収入があって、家族がいて、子供がいて、家を建てて、みたいなのが幸福なんだと思ってそれに沿うように生きてきましたから。

そうい生き方をしているとふと「はにゃ?俺何したかったんだろう?」ってなるし、そのテンプレートを外れると不幸みたくなるので、狭い価値観で生きていたのだと思います。

まあ、そういう生き方も否定はしませんけどね。ACの人には「自分の価値観」ってこと自体が難しいですから。テンプレートで生きた場合の方が楽でもあったりします。

ただ、この「自分の価値観」というのが曲者で、「じゃあ 好きにギャンブルして死ねばいいじゃん」って価値の人はそれでいいのか?とか そういう人も実際に何%かはいると思うんですよね。

それは自分でいろいろと気づいたりするしかないと思うし、「自分の価値観」って年齢や環境、人間関係によっても変わったりするので。

人類共通の「幸福の指標」みたいなものはない。ということですね。

逆にいえば「自分の快」を理解しておく必要があって、それはその人がいろいろと経験していくしかないですね。コンフォートゾーンばかりにしては何もわかりません。

という話でした。まとまりなくてすみません。

僕ですか? トマトスープが好きですが、何か?

よい日曜日を。

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