人と比べること。

ACの話

有名人の依存症からの回復の本などが出る度に思うことがある。客観的に読みたいなと。僕はよく人と比べてしまうから。「あんな活動しててすごいな」とか「すごい人生だったな」とか。

まあ、それで終わればいいのだけど、その後に必ず「自分は大したことない人生だな」とか「自分は何も活動してないな」と比べてしまう。それで落ち込むことは今はないが、比べる癖はなかなか抜けない。

そういう時は「また比べてしまっているな」と俯瞰してみることにしている。

そもそも、人の人生は比べるものでもないし、人の悩みも比べるものでもない、単純に言えば、「自分のできることをすればいい」ということに尽きる。

そもそも、僕は両親がいなかったことを不憫と感じたこともないし、よくわからない。もっと壮絶な人生の方がいいのだろうか。とかね。まったく意味がない。

悩みについても同じことが言える。「明日死にたい」という悩みと「今日お風呂に入りたくない」という悩みを比べてもしょうがない。もしかしたら、Bさんにとっては「お風呂に入りたくない」という悩みは「明日死にたい」という悩みくらい深いのかもしれない。

こういうところに、「多様性」を認めるのが難しい考え方があるような気がする。「想像力」の問題だと思うけど、じゃあ 海外の人は「想像力」が豊かなのか? いやたぶんだが、小さいころから「多様性」を認める環境があったのだと思う。それが自然なのだと思う。

白人がいて、黒人がいて、アジア人がいて、パンを食べる人がいて、魚を食べる人がいて、アレルギーの人がいて、障害のある人がいて、、、、そんな環境で育てば「他人の価値」や「自分の価値」を認めざるを得ないのではないだろうか。

日本はどうだろうか。いや少なくとも僕はずっと「他人と比べてきた」し、「世間体」を気にしてきたし、今もその癖が抜けない。

例えば、「老後2000万必要だ」と言われればそうかと思うし、「頑張らなくていいよ」と言われればそうかと思ったりする。

それはいいこともあれば、悪いこともある。「自分がない」と言われればそうだし、ただ、今は少しそういう「人と比べる癖」を客観的に見れるようになった。

そういう癖を直すにはどうすればいいか。たぶん「自分の好きなことを感じる」ことだと思う。映画も音楽でも他人がいいと思ったものではなく、「自分の感覚を認めてあげる」ことだろうか。

他人や世間の価値で生きているといつか無理が来る。それから抜け出すことは難しいこともある。ただ、少しだけ「自分の感覚を認めてあげる」ことは大事だと思う。

ACの人はそれが特に難しい。練習するしかない。そして「私はこれが好きです」と言ってみる。自分の意見を言うのが安全だと確認する。少しずつ練習する。本当に少しずつ練習するしかない。

僕はまだまだ「人と比べてしまう」それは本当にマイナスのことなので、SNSの活動は自分のできる範囲に減らした。主な活動はブログになると思う。ここは自由だから。

しいて言えば、このブログは4歳の息子が大人になった時、道に迷ったときのために書いている。きっと僕と同じで心配性で、生きるのに迷うはずだから。独自ドメインを取っているから支払いが滞るまで永遠にこのブログは残り続ける。僕がいなくなった後で、君が見つけるまで。

よい週末を。

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