人は基本的に分かり合えないということ。

よくギャンブル依存症当事者の話で、ギャンブルをやめ続けているのに家族にいろいろと言われて頭にくるという話を聞く。まあ、そうだろうなと思うし、家族の気持ちもわかる。

ギャンブル場には行っていないのに「あんた、まさかギャンブルしてないでしょうね?」なんて言われた日には「してないって言ってるだろうが!」って喧嘩になるよね。

まあ、僕はそれが嫌で離婚したふしがあるから何とも言えないんだけど、当事者の人は家族がそう言うのも無理ないよなと冷静にはなった方がいい。なにせ、当たり前の感情なのだから。

想像してみてほしい。あなたの友達が「生活に困ってるんだ。10万ほど貸してほしい。来週返すから。」と泣きつかれ、10万貸して来週になって、「ごめん、ギャンブルで使っちゃって返せないんだ」と言われたら、どういう気分だろうか?

まあ 僕なら、友達やめるよね。それが普通の感覚だから。「ギャンブル依存症なんだ」と言って理解を示す人はどれくらいいるだろうか。「依存症はわかったから、とりあえず金返せ」となるのではないだろうか。

何を言いたいかというと「ギャンブル依存症」は圧倒的にマイノリティであり、普通ではないということである。普通の人には理解できないのだ。唯一理解してもらえるとしたら、同じ悩みを持つ人くらいで、だから自助グループは大事なんだよね。

そもそも、人を理解するってどういうことだろうね。ここに1つ勘違いがあると思う。「人を理解すること」と「こう思ってもらいたいこと」は全く違うということ。

ギャンブル依存症のあなたはもしかして、家族に「私はギャンブル依存症なので、お金を借りても返せませんし、時々ギャンブルもしてしまいます。その辺をご考慮の上お付き合いしていただければ、ありがたいです」などと悠長に考えているのだろうか。

そんなバカな世界はない。ギャンブル依存症の人の気持ちはギャンブル依存症の人でしかわからない。いやそもそも依存症同士でも理解に苦しむことも多い。ただ、少なくとも一般の人よりも理解できる部分は多いですよねくらいの話で。

そもそも、僕らは一人、一人違う個体である。「理解しあう」などというのは幻想にすぎない。まず、ここに立たなければいけない。その上で「理解しようと努力すること」が大事なのではないだろうか。

「ああ、そういえば家族には辛い思いさせたなあ」くらいに思えたらいいですね。それでも頭にくるなら、当事者の自助グループで思いっきり愚痴ればいい。それなら誰にも迷惑がかからないから。(笑)

よいお盆休みを。