あおいさんの話。

その昔、招待制SNSというものがあった。その頃、僕はギャンブル依存症掲示板に属していて、だけどスリップしてばっかりだった。そのSNSで僕はあおいさんと出会った。あおいさんは精神手帳を持っていて、働いていなくて、小さい子供がいた。

旦那はいなくて、彼氏が時々遊びにきていた。僕とは地理的に離れていたけど、よくスカイプとかエロイプとかした。僕は30歳くらいだったろうか、あおいさんは歳は知らなかったが、年上だった。

よく子供の話とか、メールをした。あの頃は携帯のメールだったなあ。僕はある時、ケガをして、でも、病院に行く金もなくて、そうしたら、あおいさんは薬を郵便で送ってくれた。

あおいさんはネットで繋がった人たちに優しくしていて、よく人の世話を焼き、人の心配をしてばかりいた。そんなあおいさんを僕らも頼ったりしていた。ネットに繋がればあおいさんがいた。そんな時代だった。

あおいさんはよく精神的に落ちることがあった。僕もうまく生きられなかった。そういう人たちと繋がっていた。リアルではうまくやれなかった。だからネットこそが居場所だった。

しばらくして、僕はいろいろと住む場所を変えたり、そのSNSから離れていた。僕はリアルにしがみつこうと必死だった。やがて、そのSNSも下火になり、新しいサービスが増えていった。多くの人は新しいサービスに移行していった。

それからしばらく僕はあおいさんに連絡を取らなかった。何年か後、僕は新しいサービスであおいさんを検索してみた。そうしたら、あおいさんは居た。ただ、それはあおいさんの彼氏のアカウントで、あおいさんが亡くなっていたこと、ネットでお世話になった人たちへのお礼の文が載っていた。あおいさんの子供の写真もあった。

僕はあおいさんの彼氏にSNSからメールを送り、生前は大変お世話になったと伝えた。本当にお世話になった。と。

あおいさんは僕が本当に辛い時に居てくれた。あおいさんが辛い時に僕は何かできたのかな。

ネットの世界は時には本当に辛いことも起きる。誹謗中傷も起きる。ネットでしか生きられない人たちもいる。僕もその1人だと思う。

たかが、ネット。たかがSNS。そう人は思うかもしれない。

でも、その向こうの人から薬やクオカードが郵送されてくることを君を知っているだろうか。死にたいという僕の声を一晩中、聞いてくれる人がいることを知っているだろうか。

もちろん、それ以上にひどいこともあるだろうし、裏切られることもあるだろう。でも僕は信じたい。

そして、今度は僕は誰かに薬を郵送できる人になろうと思う。

いつだって、僕の中で言葉は溢れてくる。僕はそれをそっと拾い上げ、大切に大切に、物語にして、誰か届けるように、そっと書き留める。それが誰かに届く。それだけで十分である。