闇の世界から抜け出す方法。

闇の世界とは?言語化すれば「自分が必要とされていない世界」のことである。特に依存症の人はそういう世界に住んでいる。かつて僕もその世界に生きていた。うすら暗くて、寒くて、それすら心地いい場所。

誰もがいろんなケースで、その世界に住んでいる。いじめ、トラウマ、喪失、鬱とかいろんな原因でそこに住んでいる。そしてそこから抜け出せない。抜け出すのは本当に難しい。なぜなら、自分で創った世界だから。

自分で構築した世界だからこそ、抜け出すのは難しい。なぜなら自分の思考、感じ方を変えなければいけないから。それってほんと難しい。いくら精神科に行こうが、カウンセリング受けようが、愛する人ができようが、難しい。

言葉で表してしまうと「自分の価値」みたいなものだけど、もっと言えば「自分がこの世界に生きていてもいいと思えること」だと思う。そして、それは大抵の幸福な人には備わっていて、自分にはないのだという絶望。それを感じながら生き続けなければいけないという絶望。

そういう世界に僕も生きていた。僕はそれをどうすればいいのかわからなかった。ギャンブル、処方薬、恋愛で埋めようとしたし、内観療法、森田療法、カウンセリング、インナーチャイルド、キリスト教、様々なアプローチで闇と対峙してきた。

でも、ことごとく失敗してきた。僕にはうすうすわかっていた。僕には母のような絶対的な愛が必要なのだとわかっていた。でも、それは現実的には無理で、自分だけが歳を取っていった。歳を取るとともに、新しい役割を与えられた。

会社、世帯主、父親、結婚。。。そういうものに自分を適応させていかなければいけなかった。いけなかった?なぜ そう思うのか?簡単だ。適応していかなけば見捨てられるからだ。誰に?世界にだ。そう 世界にだ。世界とは僕以外のすべてのことだ。

適応できなけば世界に見捨てられる。そうやって生きてきた。本当にどうすればいいのかわからなかった。世界を壊すか、自分を消すか、どちらかだった。そうしてるうちに僕は傷を持っている仲間と出会っていく。

仲間の匂いはわかりやすく、僕は一瞬で見分けることができた。だって穴が空いてるからね。そうやって僕は少しずつ、仲間を見つけ、不器用に交わりながら、少しずつ「生きていてもいいんだ。」と思えるようになっていった。

ギャンブルをやめられなかった28年間、死と隣合わせだった。ギャンブルをやめられない自分に絶望し、自傷し、痛めつける。まるで自分を傷つけるかのように。自分を傷つけるのが気持ちいいかのように。「自分なんか死ねばいいのに。死ねよ」と常に思っていた。

そう思いながら生きるのは本当に辛かった。社会に、家庭に適応しているつもりでも、常に頭の中に声がこだましていた「なに善人ぶってんだよ!てめえなんか生きる価値もないくせに!」そういう声と同居していると現実世界に適応できなくなっていた。

ま、最近は声も聞こえないし、少しは楽になったかなあ。 どうしてかは知らないけど。僕はラッキーだった。

仲間の仲間が命を落としたと聞いた。彼が少しでも安らかに眠れますように。