誹謗中傷から大衆心理まで。

誹謗中傷が話題になっている。もちろん SNSでの誹謗中傷が問題で命を落とした女性の話である。

というわけで誹謗中傷について、風呂で30分考えてみた。結局どうしたらいいかはわからなかったけど。少し書いてみたい。コロナ禍の中で僕ですら、ツイートする内容やブログに書く内容に随分と言葉を選ぶようになった。

まあ ここにはコメントも来ないし Twitterも今後リプライを無くす機能も実装されるらしいし。

コロナ禍でSNSをよく利用している。情報の伝達が早いし、いろんな意見を知ることができる利点もある。その一方で誹謗中傷もよく見られた。また、これはだめだよっていうタグ付けのツイートの話もあったねえ

ほとんどの問題がAという意見に対して、いやそうじゃないAを否定、さらにいやそうじゃないAを否定を否定、さらにそれを否定。というような否定の連鎖みたいだった。

その中には僕も参加していた問題もあった。いつの間にかそういうことをしていた。これが大衆心理かとも思った。そこでもさらに何か言わないのはいけない。意見を言うべきなんだと言われたりした。まあ それもそうだなとも思った。

某ネットニュースのコメ欄もひどいが、もう配慮なしにそういうこと書いている気もするなあ。もうオブラートに包む気もない感じだしねえ。ほんと言い方だと思うんだけどなあ。「ブス」とかは悪口でしかないし。

誹謗中傷はいけないとは思う。 ただ 今度は「ほら、それ誹謗中傷じゃん 訴えますよ」と誹謗中傷警察が出てくるね。もうイタチゴッコ。

誹謗中傷はいけないのは当然だけど、みんなが「いいね」するユートピアみたいな世界も嘘くさくて気持ち悪いと思うのは僕の偏見なんだろうか。と書いて僕はこの1文に戦々恐々としている。

そのくらい、何かを発言することに躊躇する世界になってしまった。SNSに絶望する人も出てくるだろう。そもそも「つぶやき」だったはずなのにねえ。

もう「おっぱい」とか言えないなあ(言ったことねえ(笑))

僕がブログを書く理由はここが僕だけの世界だからだ。ここでは僕は自由に物を書ける。それだけの理由だ。絵を描ける人は絵を書けばいい。僕は文章をかくことしかできないから。ただそれだけ。それが担保されないようであれば、遠慮なく ドメイン消すだけだから。ネットってそういうもんだと思ってるしねえ。

今日も賭けない一日を。