不安を抱えて生きていく。

ここ数週間、不安の中にいた。いくつか要因はあるのだが、1つは社会的状況。もちろんコロナである。僕の仕事にも影響は少しずつ出てきているし、情報は悪い側面を助長してくる。という社会的不安。2つ目は目標のLOST。3週間前にPCにお茶をこぼしてから、副業ができなくなってしまい、1つの目標が停滞してしまい、ぽっかり時間ができてしまったこと。

それらのことから、いろんなことを考え始めた。それはギャンブルをやめ続けた後、僕はどうなっていきたいのだろうということだった。もちろん、理想とすることはあると思うのだが、それが漠然としすぎて、イメージがわかなかった。ということもあった。

せっかく時間があるので、プログラムの本を1通り読み直すことにした。「プログラム フォー ユウ」「セイン」「12&12」「ビッグブック」「赤本」「ドロップ ザ ロック」これらを4日くらいかけて読み直した。

もちろん、気づかなかった箇所もあったし、新たな発見もあった。そういう意味で僕の「バック トウ ビックブック」はいろんなことをもたらしてくれた。

自分がどんな場所を目指すのかなんてことは誰も教えてくれないし、自分にしかわからない。ただ生きる指針はビックブックなのだと思っているし、これからもそうなると思う。

それでもなお、僕らは不安の中で生きている。当然だ。不安だから、何か行動する場合もあるし、不安になること自体は悪いことではない。そもそも不安でない完璧な状態というのはあり得ない。

ただ、不安に固執してはいけない。それを見つめすぎてしまうと飲み込まれてしまう。その辺はぼんくらでいいのだ。僕らは時に真面目過ぎてしまう。聖書にもある。「汝、明日を思い煩うな」この意味するところは明日のことは心配してもいいが、心配しすぎるなということである。

とは言っても、まあ そういうメンタルを抱えているとそうもいかないし、そもそもそういう病気だし、ってところもある。普段であれば、やることや仕事で忙しくしていれば考えないのだが、少し時間を持て余していたのかもしれない。

ただ、いい機会になった。一度立ち止まることは必要だったのだろう。自分の足元を見直すことは時には必要だ。自分がどこに向かっているのか、道しるべは正しいのか、時には確認することも必要だろう。

まあ ただ多くの場合は考えすぎの場合があるので、そんなときの処方箋は「散歩でもしよう」となる。運動して忘れるのが一番だし、僕の場合は銭湯かなあ サウナはやってないけど銭湯はやっているからね。

毎日が忙しいと流されていく気分になり、時間を持て余すと不安になる。人はあやふやな存在である。そんな時は基本に還る。「今日一日」をまあ気楽にやってみるくらいのことしか僕らにはできない。それ以上のことは僕の範疇ではないので、お任せしてみてもいいのではないかと思っている。

ゆだねて生きることは自分をあきらめることでは決してない。自分のできることをして、結果をゆだねることだと思っている。

シンプルに「今日一日を生きよう」と思う。