コロナ犠牲の父の記事に思う。

コロナ犠牲の父の記事を読んだ。胸が痛かった。ただ、それと同時に僕も差別している一人だなと思っている。誰もが差別はしたくないと思っているし、風評被害で退職とかひどいなと思うのかもしれない。

でも、僕らだって無意識にしていないだろうか?例えば「〇〇市 コロナ」で検索していないだろうか?特定しようとしていないだろうか?いや、もはやそれが普通の行為だというのもわかる。先日も職場の管理職の数人が「やっぱり、あの会社の人ねえ。海外に旅行行ってたんですってよ」と話していて、簡単に特定されてしまう怖さを感じている。

そして、もう僕らは簡単に人を批判するようになった。いい悪いではなく。そうなってしまった。僕も昨日無意識に批判のツイートをしてしまい、自分も毒されているんだなと思ってしまった。こういうことを書くと必ず、「今は非常時なんです。批判しなければ政府は動きません」と返される。確かにそうだし、批判すべきことは批判すべきだと思う。

ただ、そういうことを言う人がいると、それを「人を批判ばかりするなんてもうやめよう」と返し、それに今度は「だから、政府に舐められるだよ」って反論され、もう何も言いたくなくなる。って書くと「じゃあ、言うな」と言われそうで憂鬱になる。

ま、この記事はどうせ対して読まれないから、いいんだけどさ。ともかく、自分の命と家族の命は守りたいと強く思っている。ただ、それだけである。

きっと社会の風潮はエスカレートしていくし、もう止められない。と思っている。燃えている場所にコップで水をかけるようなものだから。

だから、僕はただ、ただ、今日一日を生き、自分と家族を守っていこうと思う。