春のスリップの気持ち悪さ。

去年もおととしも春にスリップしているが、スリップの後に気持ち悪さったらない。あの光景は映像で記憶にへばりついている。たぶん、前日から動画などで気持ちが盛り上がり、朝には通帳を握りしめ、銀行が開くのと同時に引き出し、開店と同時に入店する。

甘デジにするか、スロットにするか、少し迷い、結局スロットにする。手にしてきた3万円ほどは今月の生活費だ。わかっているがどうにも止められない。そして、何度か当たりはしたが、12時にはすべてスリ、駐車場で3万円の缶コーヒーを飲む。

そして、やることもないし、食べ物もないので、とぼとぼと帰る。部屋に戻ると現実が襲ってくる。絶望と自責で狂いそうになる。どうでもよくなってふて寝する。春の日差しがまぶしすぎた。自分のみじめさが気持ち悪くて季節を呪いたくなる。

夕方、少し回復して、また絶望する。「明日から何を食べよう」そんなことをぼんやり考えたりする。部屋を見渡し「何を売ろうかなあ」生活のために物を売ろうとする。たとえそれが生活必需品であっても。見渡しても、何もない。「トースターは売ったしなあ、タイヤって売れるかなあ。何もないなあ」

もう、春なのに、絶望しかなかった。季節が、世界が春へ向かっているのに、自分だけが絶望の世界にいるのは耐えられなかった。死にたかった。死ねなかった。生きるしかなかった。自分を傷つけるほど若くはなかった。もう嘘をつくのも疲れてしまった。そういう世界に浸っていた。

だから、春のスリップは余計につらい。できれば、明るい世界とリンクしていたいものだ。希望の春と。今年は少し前向きでいれることが嬉しい。