生きる意味。

ゲシュタルトの祈り

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

フレデリック・パールズ  

心の家路さんのHPより引用させていただきました。ありがとうございます

ゲシュタルトの祈り、すごい好きだなあ。言葉ってその時にはわからなくてもあとから理解できたりするから面白い。だから、僕の言葉もいつか誰かの時を超えて思い出されたらいい。

ACにとってはゲシュタルトの祈りは非常に重要である。が、支配されて生きてきてしまった人間に「自分に人生を生きなさい」と言われても、そんなこと考えたこともなかったので、難しいのだ。まずは自分の「好き、嫌い」の感覚から取り戻す必要がある。

じゃあ、どうすればいいか?「自分の感覚を信用する」ということだ。例えばこの音楽が好きかどうかなんて自分にしかわからない。運動が好きかどうかなんて自分にしかわからない。誰かが言ったからではなく、自分で感じるのだ。そして、好きかどうか、決めればいい。そして決めていいのだ。「私が好きだなんて、そんなこと思っていいのかしら」と最初は思うかもしれない。抑圧された環境で生きてくると自分の意見を言ってはいけないと思わされてしまう。だが、勇気を出そう。「わたしはこれが好き、嫌いと言ってもいいのだ」本当にそうなのだ。

抑圧された環境で生きてきた人間にとって、自分の意見を言うことは勇気のいることだ。「こう思われたらどうしよう。そんなことを言って大丈夫だろうか?」と、たぶん心が縛られているのだ。少しずつ勇気を持ってみよう。「私は~したい」「私は~が好き」「私は~が嫌い」と「iメッセージ」を伝えてみよう。

そういう訓練をしてないと本当に難しいことだけど、自分を守るために少しずつ言えるようになりたいものだ。そうでなければ、自分が可哀そうである。

ACになる要因によく使われる言葉が「機能不全家族」という言葉である。まあ、何となくわかる。だけど完全な家族なんてあり得るだろうか?完璧な子供なんてあり得るだろうか?そしてきっと家族だけの問題でもないと思う。個人の資質もあると思う。感受性の強さだったり、もともとの性格だったりもする。

よく双子の話を聞いたりする。それはこんな話だ。アルコール依存症の父親の元で育った双子がいて、1人はアルコール依存症になり、もう一人は牧師になったという話である。同じ家庭環境であってもその子供の性質によって左右されると思う。

僕の育った環境はバリバリの機能不全家族であった。母は僕が生まれて半年で亡くなり、父はすぐ失踪し、養祖父は支配的で、養祖母はイネイブラーで、まあ、よく生き延びたものだと思うが、別にその中で生きるしかなかったので、しょうがない。絶望を抱えて生きるしかなかった。

たぶん42歳まで「生きる意味」なんてなかったし、20代、30代は死と隣り合わせだった。42歳に何があったかって?子供が生まれたのだ。

子供が生後半年で僕はうつ病になった。それまでも鬱は繰り返してきたが、何とかごまかしてきた。でも、子供ができてから「子供のお父さんが死んではかわいそうだ。それだけはしのびないし、僕も子供の成長を見てみたい」と自殺を思いとどまるようになった。

まあ、今も「生きている意味」なんてそんなもんだけど。まあ、それでいいかと思っている。それ以上でもそれ以下でもない。それだけあれば生きていける。

たぶん、コロナの影響で経済は停滞していくと思う。下手したら、世界恐慌になるかもしれない。僕は楽観していない。だけど、そういう時に「自分に本当に大事なもの」をしっかりと刻み、それだけを守っていけばいい。それ以外は必要ない。 良い週末を。