さびしんぼう。

「寂しい」この感情に人生のほとんどを振り回されていると言っても過言ではない。「寂しいからどうにかしてくれ。「寂しいからそばにいてくれ」「寂しい、寂しい、寂しい」その感情は埋まることはなく僕にこびり付いてきた。

それは例えば生育歴によるものなのかもしれない。きっとそうだろう。だけど、僕はいいかげん大人になった。大人になったということは道を選べるということであり、自分にとっての責任を取るということである。つまり「寂しくない人生を選んでいける」ということである。

要は過去や生育歴やトラウマだったりはもう過去のことなのだ。それを再度体験し直すことは難しい。やはり、これからの生き方を見直していくべきだろう。自分が何に囚われてきたのか点検してみる必要があるだろう。

今は「寂しい」という感情に振り回されることは少なくなった。それは「寂しくなくなった」という意味ではなく「自分と上手に付き合えるようになった」ということだと思う。

たぶん、自分を知り、自分を大事にし、うまく付き合えるようになったことで感情が暴走することを防ぐことができるようになったし、寂しさを埋めるために夜の街を徘徊することもなくなったのである。

「寂しさを埋める行為」は時には依存行為に走らせる。ギャンブル、セックス、薬物、アルコール。きっとその「寂しさ」は耐えられないものなので、「何か」で埋める必要があった。だけど「何か」では埋まらなかった。心の魔物は餌を与えるともっと要求した「足りない!もっとよこせ!もっと持ってこい!」と。これが依存症の原理だと僕は思っている。少なくとも僕はそうだった。

今は「寂しさ」に支配されることがないので、心の魔物が要求してくることはない。満たされているというわけではないが、「寂しさ」に支配されることはない。「寂しさ」を感じないわけではない。う~~んうまく説明できないけど。

自分とうまく付き合えるように少しはなったのかなあと思う。それは服薬も含めてだけどね。まあ人間は生ものだからどう変わっていくかなんてわからないけど、いろんな仕組みを知っておくと理解しやすいよねって話。

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