あえて、トラウマの話。

トラウマってほんと人それぞれだし、感じ方も人それぞれだと思うからあくまで僕の感じ方だということを前置きして、トラウマのことを書こうと思う。

僕の母は僕が生まれて半年で死んだ。当然僕は母を知らない。それでも養祖父母に何不自由なく育てられたし、恵まれていたと思う。父は母が死んだ後、失踪した。まあ父なんてどうでもいいのだが、母が死んだという事実は青年期の僕の中に大きな喪失感と母の神格化を心に植え付けた。

思春期には「母が生きていたら」と何度も思ったし、「母に会いたい」とすら思った。周りの人間から母の断片を集めて偶像化し、神格化していった。寂しい時には「母」に話しかけ、悩んだ時は「母」に相談した。

そして、僕が求めていた愛は「母」の絶対的愛になった。それはもう僕が想像で築き上げた聖なる愛の権化である母の愛だった。当然それはこの世のものではなく、手に入るものではなく、僕はいつも失望していた。

そして誰も僕の想像の「母」に勝てるものはいなかった。当然である。神なのだから。

だけど、その「母」に囚われているうちは僕は自由になれなかった。いつまでも偶像を求めていかなければいけなかったから。きっと「母」も自由になりたかったのだろう。そう思う。

そして、僕は少しずつ偶像の「母」を手放していくことにした。そして、少しずつ自由になっていこうと思う。自由は心地いいけど、少し怖い。だけど、きちんと生きていかなければいけない。僕にも家族ができたのだから。今度は僕が親の愛を与える番だから。良かった。