支配する者、される者の百年戦争。

ACである僕にとって、この世は「僕を支配しようとする者」か「そうじゃない者」かのどっちかだった。つまり「敵か味方か」。そんな考え方しかできなかった。きっと生育歴に関係しているのかもしれない。僕の育ての親である祖父は家庭では暴君だった。

 

僕はいつだって支配されていた。怯えていた。従うしかなかった。子供だから行くとこもなかった。支配はあらゆるところで僕を束縛した。TVは自由に見れなかった。夕方5時になったら門限だと言われた。家に遊びにきていた友達も5時になったら帰された。何度家出したいと思っただろう。何度殺そうと思っただろうか。本当に。

 

高校になるとグレるのだが、反抗もしたこともないから、グレ方もわからず、本に逃げたり、学校をさぼったりした。そんな僕を祖母は「そんな子はうちにはいなかった」と寂しそうに言った。僕は「年寄りだから、ずるいなあ。反抗できないじゃん」と思った。

 

大学でやっと1人になったが、今度は人とうまく関係が築けなかった。自我がうまく形成されていなかった。それからの僕の人間関係は「敵か味方か」だった。社会に出てからは「支配されるか、されないか」そんな基準しか持っていなかった。そりゃあ 疲れるよなあ。

 

どうしたら、孤独にならずに済むのかもわからなかった。恋愛も「依存するか、依存させるか」だった。そういういびつな関係しか知らなかった。

 

最近、モラハラの男の人の話を聞くが、僕らギャンブル依存症の根本はACだったりするし、ACであれば、「支配するか、されるか」の関係しか築けないのだから、ある意味「モラハラ体質」になるのはしかたないのだ。だってそういう関係しか知らないのだから。

 

もちろん、学習し、経験していくことはできる。僕は今、多くの仲間と出会い、「支配する、される」関係ではなく仲間として関係を築けている、するとどうだろう、僕の世界から恐怖が消え、孤独が消え、たとえ外の社会で「支配されそう」になっても耐えられるようになった。

 

そうやって僕は「支配する者、される者」の百年戦争を生き延びてきた。もしも自分の世界をそう感じている人がいれば、「そういう世界ばかりではない」と伝えたい。もちろん、そういう世界に出会わなけれわからないのだけれどもあなたを傷つける世界ばかりではないと気づけたらいいな。 R